贔屓の引き倒し
(ひいきのひきたおし)

 ひいきし過ぎたために、かえって相手に迷惑をかけてしまうこと。「贔屓」は重い物をささえる大亀(にかたどった彫り物)。

同意語: 「贔屓の引き倒れ」

非学者論に負けず
(ひがくしゃろんにまけず)

 道理の分からない人にいくら理屈を説いても無駄であること。無学な者は理屈を解しないから、議論に負けることがないとして言う。議論に負けたのに負けたと自覚できない人に進歩はない。

同意語: 「非学者論議に負けず」

日陰の豆も時が来ればはぜる
(ひかげのまめもときがくればはぜる)

 日当たりの悪い場所で育った豆でも、時期が来れば自然とさやからはじけ出る。人間も同様で、たとえ成長が遅れていても、年頃になれば一人前になるということ。性の目覚めを指して用いられることが多い。

同意語: 「陰裏かげうらの豆もはじけ時」

光るほど鳴らぬ
(ひかるほどならぬ)

 稲光が凄いわりには雷鳴が小さい。クチうるさく言う人に限って根は優しいということ。また、強そうにふるまっている者は意外に弱いことを言う。

類語: 「吠える犬は噛みつかぬ

引かれ者の小唄
(ひかれもののこうた)

 負けていながら平気を装って強がりを言うこと。また、追い詰められた者が言ってもかいのない強がりを言うこと。「引かれ者」は、江戸時代、処刑のために牢から刑場に引かれていく者。それが強がりを見せて鼻歌などを歌う意から言う。

低き所に水溜まる
(ひくきところにみずたまる)

 水が低地に流れて留まるように、利益のあるところには人が集まるということ。また、悪者がいるところには悪者が集まることを言う。

類語: 「百川ひゃくせん海にちょうす」

日暮れて道遠し
(ひくれてみちとおし)

 年をとって人生も残り少なくなったのに、いまだ少ししか目的が達せられていないこと。日は暮れたのに目的地まではまだ遠いの意味から言う。『史記・伍子胥伝』の伍子胥ごししょのことばに「吾日暮れてみち遠し。吾故に倒行とうこうして之に逆施ぎゃくしす」とある。

鬚の塵を払う
(ひげのちりをはらう)

 目上の人におべっかを使うこと。追従ついしょうすること。上役のためにそのひげについたスープの汁をぬぐってやる意から言う。北宋の冦準こうじゅんの門下生であった丁謂ていいは参政(副宰相)の高位に登っても追従癖がやまず、ある会食の席で長官の冦準の鬚についたあつものの汁をぬぐうまでのお追従をしたが、冦準にたしなめられて恥じ入ったという。『北史・冦準伝』に見える故事による。

同意語: 「長官の為に鬚を払う」、「鬚塵しゅじんを払う」

卑下も自慢のうち
(ひげもじまんのうち)

 表面では卑下しているようだが、内心では自慢していることを言う。自慢話が聞きづらく、また話しづらいのは、通常、自分が自分に下す評価よりは他人の評価の方が低い(あるいは、両者が食い違っている)からである。しかし、ただ謙遜すればいいというものでもなく、謙遜が過ぎると卑下に聞こえ、卑下が過ぎると逆に自慢に聞こえる。

類語: 「謙虚も過ぎれば自慢になる」

庇を貸して母屋を取られる
(ひさしをかしておもやをとられる)

 一部を貸したためにその全部を取られること。軒先を貸しただけなのに、やがては家ごと取られてしまう意から言う。せっかくの親切が仇になることから、恩を仇で返されるの意にも使う。

同意語: 「のきを貸して母屋を取られる」
類語: 「飼い犬に手を噛まれる」、「なたを貸して山をられる

膝とも談合
(ひざともだんごう)

 困ったときには膝を抱いて考える、つまり自分の膝を相談相手にすること。また、どんな相手でも相談すればそれなりの効果があることを言う。

類語: 「物は相談

飛耳長目
(ひじちょうもく)

 物事の観察に鋭敏であること。遠くのことをよく見、よく聞く、耳と目の意から言う。『管子・九守』に「一に曰く長目(千里眼)、二に曰く飛耳(早耳)、三に曰く樹明(観察眼)」とあるのによる。もともとは君主の備えるべき要件のこと。

同意語: 「長目飛耳」

美辞麗句
(びじれいく)

 美しく飾った、聞いて心地よい言葉。最近では内容のない空疎な言葉の羅列を、多少皮肉まじりに軽蔑していう場合が多い。

美人薄命
(びじんはくめい)

 ⇒「佳人薄命

尾生の信
(びせいのしん)

 (1)信義を尽くして約束を守ること。
 (2)馬鹿正直で融通がきかないこと。
 春秋時代、尾生びせいという男が橋の下で女と会う約束をした。大雨で川が増水しても、橋の柱につかまり流れに抗してそのまま待ち続けたが、ついには溺れ死んだという。『荘子・盗跖とうせき』『史記・蘇秦伝』『淮南子・説林訓』などに見える故事。

皮相浅薄
(ひそうせんぱく)

 表面的で底が浅いこと。知識、思慮、学問などが非常に浅いこと。

皮相の見
(ひそうのけん)

 物事のうわべだけを見る、浅はかな見解。『景徳伝灯録』に、達磨だるまの弟子の道副と尼総持じそうじが、それぞれその皮と肉をしか得ることができなかった故事を伝える。そのたいを得た(達磨の教えを体得した)と言われたのは、左腕を切断までして弟子入りを乞うた慧可えかで、「慧可断臂だんぴ」の故事は東洋画の画題となった。

同意語: 「皮肉の見」、「皮膚の見」、「膚見」

鼻息を仰ぐ
(びそくをあおぐ)

 他人の機嫌をうかがうこと。また、他人の意向を気にするたとえ。後漢末期の将軍袁紹えんしょうは「鼻息を仰ぐ、膝の上に抱かれた赤子のようなものだ」と評された。

顰みに倣う
(ひそみにならう)

 定見もなく、やたらに人まねをすること。また、人の言行を見習うこと(を謙遜けんそんして言うことば)。「ひそみ」は眉をしかめること。昔、えつの美女西施せいしが胸を病んで苦しみ、眉をしかめた表情をしてみせたところ、それを美しいと思った田舎の醜女しこめたちは、そのまねをして村中を歩き回ったという。『荘子・天運』に見える故事に基づく。

同意語: 「西施せいしひそみに倣う」、「西施せいし捧心ほうしん

尾大掉わず
(びだいふるわず)

 上の者が弱小で下の者が強大だと、組織の統制がとりにくいということ。動物は尾が大きすぎると、その尾を自在に振り動かすことができないとして言う。『春秋左氏伝・昭公十一年』に「末大なれば必ず折れ、尾大なればふるわず。君の知るところなり」とあるのによる。

左団扇で暮らす
(ひだりうちわでくらす)

 仕事をすることもなく安楽に暮らすこと。左手でゆっくりと団扇うちわを使うのは安楽な暮らしの象徴。

同意語: 「左団扇」、「左団扇を使う」

飛鳥尽きて良弓蔵る
(ひちょうつきてりょうきゅうかくる)

 用があるときは使われ、用がなくなると使われなくなること。飛ぶ鳥を射落としてしまえば、良い弓も使われなくなることから言う。下に「狡兎こうと死して走狗そうくらる」と続けて言うことも多い。

同意語: 「飛鳥尽きて良弓おさめらる」、「狡兎こうと死して走狗そうくらる
類語: 「猟禽尽きて走狗煮らる

羊を以て牛に易う
(ひつじをもってうしにかう)

 小さなもので大きなものの代用をさせること。転じて、多少の違いはあるが、本質的には変わりがないこと。せいの宣王が犠牲の牛を憐れみ、これを羊に替えて儀式を執り行ったことから言う。孟子もうしはこれを評して「憐れみの心は王者にふさわしい。が、人々は王の心を理解せず、王が物惜しみをしたと思うだろう」と説いたところ、王はもっともだとして苦笑したという。『孟子・梁恵王上』の王道政治問答に基づく。

匹夫罪なし璧を懐いて罪あり
(ひっぷつみなしたまをいだいてつみあり)

 ⇒「たまいだいて罪あり
類語: 「持ったが病

匹夫の勇
(ひっぷのゆう)

 ただ血気にはやるだけの、とるに足りない勇気。小人の勇気。「匹夫」はつまらない人物。『孟子・梁恵王上』に「それ剣をし疾視して、曰く『彼いずくんぞ敢えて我に当たらんや』と。これ匹夫の勇、独りに敵する者なり」とあるのによる。

匹夫も志を奪うべからず
(ひっぷもこころざしをうばうべからず)

 教養のない身分の低い男であっても、その志が堅固であれば、誰もそれを奪い取ることはできない。

必要は発明の母
(ひつようははつめいのはは)

 発明は、必要に迫られることから生まれるということ。西洋のことわざ“Necessity is the mother of invention.”の訳語。

同意語: 「きゅうすれば通ず
類語: 「窮すれば通ず

人衆ければ天に勝つ
(ひとおおければてんにかつ)

 人が多く勢力の強いときには、人は一時的に天の理に勝つこともあるということ。『史記・伍子胥伝』に「人おおければ天に勝ち、天定まればまた能く人を破る」とあり、たとえそうだとしても、しょせん人は天には及ばないという意味合いで使う。の平王の墓をあばいて、死屍ししを三百回鞭打って父と兄の復讐を遂げた伍子胥ごししょの行為を、友人の申包胥ほうしょがとがめたときに引いたことば。伍子胥は「日暮れて道遠し」の心境で過ちを犯してしまったことを認めたという。

人こそ人の鏡
(ひとこそひとのかがみ)

 鏡を見て自分の姿を直すのと同じで、他人の言動は、自分の至らなさを直すよい手本になることを言う。

類語: 「人のふり見て我がふり直せ」、「他山の石

一つ穴の貉
(ひとつあなのむじな)

 ⇒「同じ穴のむじな

人と入れ物は有り次第
(ひとといれものはありしだい)

 人の頭数と道具は、多ければ多いで使いこなせるし、少なければ少ないでどうにでもやり繰りができるということ。

人と屏風は直には立たず
(ひととびょうぶはすぐにはたたず)

 人は時には自分の意志を曲げて世に処していかねばならないものだということ。屏風びょうぶは折り曲げなければ立たないことから、人もそれと同じだとして言う。「すぐに」はまっすぐにの意に、すぐさまの意を含ませたもの。

同意語: 「商人あきんどと屏風は曲がらねば世に立たず」、「屏風と商人あきんどは直には立たぬ」
類語: 「曲がらねば世が渡られぬ

人に高下無し心に高下有り
(ひとにこうげなしこころにこうげあり)

 人の価値は身分などの高下で決まるものではなく、心の高下によって決まるということ。人は平等であるが、人格には高下の差があるとして、人格の陶冶とうやを説く。

人に三怨有り
(ひとにさんえんあり)

 人には他人の恨みを買う要因となるものが三つあるということ。『列子・説符』に「人に三怨有り。……爵高き者は人これをねたみ、官大なる者は主これをにくみ、禄厚き者は怨みこれにおよぶ」とあるのによる。孤丘こきゅうという所の長老が令尹れいいん(楚の国の最高位の大臣)孫叔敖そんしゅくごうの就任祝いに臨んで言ったことば。

同意語: 「孤丘こきゅういましめ」

人には添うてみよ馬には乗ってみよ
(ひとにはそうてみようまにはのってみよ)

 ⇒「馬には乗ってみよ人には添うてみよ

人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し
(ひとのいっしょうはおもにをおうてとおきみちをゆくがごとし)

 人には果たすべき重い任務があり、人生は長く苦しみの多いものであるから、一歩一歩着実に歩まなければいけないということ。『論語・泰伯』の「任重くして道遠し」をふまえて言う、徳川家康の遺訓。この後に、「急ぐべからず、不自由を常と思えば不足なし」と続く。

人の噂も七十五日
(ひとのうわさもしちじゅうごにち)

 世間の噂や評判は、良いものも悪いものも、長続きはしない。七十五日もすると忘れ去られるものだということ。

人の己れを知らざるを患えず
(ひとのおのれをしらざるをうれえず)

 人が自分の学徳や才能を認めてくれなくても、心配したりはしない。孔子のことばで、これに続けて『論語・学而篇』では、「人を知らざるを患えるなり」と言い、『憲問篇』では、「己れのくすること無きを患うるなり」と言っている。

人の口に戸は立てられぬ
(ひとのくちにとはたてられぬ)

 家の戸を閉めるようには人の口は封じられない。世間の噂、風評は防ぎようがないというたとえ。

同意語: 「世間の口に戸は立てられぬ」
類語: 「口から出れば世間

人の車に乗る者は人の患えに載る
(ひとのくるまにのるものはひとのうれえにのる)

 人から恩恵を受けた者は、その人のために心配事も引き受けねばならなくなるということ。「患えに載る」は心配事の相談に乗ること。『史記・淮陰侯伝』に「人の車に乗る者は人の患えに載る。人の衣をる者は人の患えをおもう。人の食を食する者は人の事に死す」とあるのによる。

人の心は九分十分
(ひとのこころはくぶじゅうぶ)

 人の考えることは似たりよったりで、大差はないということ。九分と十分では長さに大差がないことから言う。

同意語: 「人の心は九合くごう十合じゅうごう」、「人の心は九分が十分」、「人の目は九分十分」

人の子の死んだより我が子の転けた
(ひとのこのしんだよりわがこのこけた)

 他人の子が死んだことより、自分の子が転んだことの方が重大事である。親にとって自分の子ほど可愛いものはないということ。また、誰でも自分の利益が第一であることを言う。

人の牛蒡で法事する
(ひとのごぼうでほうじする)

 他人の牛蒡ごぼうを材料に精進料理を作り、法事のもてなしをする。他人のものを利用して、自分の義理を済ませることのたとえ。

類語: 「人のふんどしで相撲を取る

人の宝を数える
(ひとのたからをかぞえる)

 自分にとって何の役にもたたないこと、下らないことをするたとえ。

類語: 「隣の家の宝を数える

人の七難より我が十難
(ひとのしちなんよりわがじゅうなん)

 他人の欠点は少しのことでもすぐに気づくが、自分の欠点は大きなものでもなかなか気づきにくいということ。「難」は欠点の意。

同意語: 「人の七難より我が八難」
類語: 「人の一寸我が一尺」、「人の一寸見ゆれど我が一尺は見えず」

人の疝気を頭痛に病む
(ひとのせんきをずつうにやむ)

 ⇒「他人の疝気を頭痛に病む

人の女房と枯れ木の枝振り
(ひとのにょうぼうとかれきのえだふり)

 人は他人のことにとやかく口出しすべきではないということ。他人の女房のことをあれこれ品評しても始まらないし、枯れ木に至っては枝振りが悪くても直しようがないことから言う。

人の蠅を追うより自分の頭の蠅を追え
(ひとのはえをおうよりじぶんのあたまのはえをおえ)

 他人の至らないところを気遣ってあれこれ世話を焼くより、自分の至らないところに意を用いるべきであるということ。

同意語: 「人の蠅を追うより己れの蠅を追え」、「人事ひとごと言おうより我が頭の蠅を追え」
類語: 「人のことより足元の豆を拾え」、「人の事より我が事」、「人の世話するより我が身の世話しろ」、「人を怨むより身を怨め

人の鼻息を仰ぐ
(ひとのはないきをあおぐ)

 人の意向を気にして、依存しようとすること。

同意語: 「仰人鼻息」

人のふり見て我がふり直せ
(ひとのふりみてわがふりなおせ)

 他人の行いの善し悪しをよく見て反省し、自分の行いを改めよということ。自分のことよりも、他人のこと(特に、他人の欠点)はよく目につくことから言う。「ふり」は、人の様子や、やり方・態度などの意。

同意語: 「人の上見て我が身を思え」
類語: 「下手は上手の手本」、「上手は下手の手本」、「人こそ人の鏡」、「人をもっかがみとなせ」、「他山の石」、「殷鑑いんかん遠からず

人の褌で相撲を取る
(ひとのふんどしですもうをとる)

 他人のものを利用して自分の利益をはかること。他人のものを利用してちゃっかりと利をはかる「ずるさ」を言う。

類語: 「人の牛蒡ごぼうで法事する」、「人の太刀で功名する」、「人の提灯ちょうちんで明かり取る」、「人の物で仁義する」、「他人の念仏で極楽まいり」

人の将に死なんとするその言うや善し
(ひとのまさにしなんとするそのいうやよし)

 人が死を前にして言うことばは、偽りのない真実のことばである。『論語・泰伯』にある曾子そうしのことばで、「鳥のまさに死なんとするその鳴くや哀し」と対句をなす。

人は一代名は末代
(ひとはいちだいなはまつだい)

 人の命は一代で滅びるが、名声・悪名などの評判は末長く残るということ。名誉を重んじて生きるべきことを説く。

同意語: 「家は一代名は末代」、「身は一代名は末代」
類語: 「虎は死して皮を留め人は死して名を残す

人はパンのみにて生くるにあらず
(ひとはぱんのにみにていくるにあらず)

 人は物質的な満足感を得るためにだけ生きるものではないということ。『新約聖書・マタイ伝・四章』に「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」とあるのによる。人の精神生活が大切なことを説く。四十日間の断食の後、悪魔の誘惑と闘ったイエスが悪魔の最初の誘惑を退けるために言ったことば。“Man shall not live by bread alone.”

人は眉目よりただ心
(ひとはみめよりただこころ)

 人は容貌の美しさより、心の美しさが大切である。「眉目」は見た目の意で、顔だちのこと。「見目」とも書く。

類語: 「人は心が百貫目」

人は病の器
(ひとはやまいのうつわ)

 人間の体は複雑かつ精緻に出来ているから、些細なことが原因で故障し、病気になってしまう。まるで病の入れ物のようだ。人はいつ病気にかかってもおかしくないということ。

一人口は食えぬが二人口は食える
(ひとりぐちはくえぬがふたりぐちはくえる)

 一人で生活するよりも夫婦で暮らした方が経済的に得だということ。「一人口」は一人暮らしで立てる生計、「二人口」は夫婦で立てる生計。

同意語: 「一人口は食えぬとも二人口は食える」、「十人暮らしはやすいが一人口は暮らせぬ」、「二人口は過ごせるが一人口は過ごせない」、「二人ににん口は過ごせるが一人口は過ごせぬ」

一人娘と春の日はくれそうでくれぬ
(ひとりむすめとはるのひはくれそうでくれぬ)

 「呉れる」と「暮れる」をかけた言い方で、一人娘は親がなかなか嫁に出さないことを言う。

人を射んと欲すれば先ず馬を射よ
(ひとをいんとほっすればまずうまをいよ)

 ⇒「しょうを射んと欲すればず馬を射よ

人を怨むより身を怨め
(ひとをうらむよりみをうらめ)

 人の仕打ちを恨むよりはまず自分の至らないところを恨め。「身を怨め」は至らない自分をだめだとして反省せよの意。『淮南子・繆称訓』に「人を怨む自ら怨むにかず」とある。

類語: 「人の蠅を追うより自分の頭の蠅を追え

人を恃むは自ら頼むに如かず
(ひとをたのむはみずからたのむにしかず)

 他人を当てにするよりは、自分を頼みとして努力した方がよい。『韓非子・外儲説右下』に「の人をたのむは自ら恃むに如かざるを明らかにするなり。人の己れのためにする者は己れの自ら為にするに如かざるを明らかにするなり」とあるのによる。これは、戦国時代のの宰相公孫儀が、人々から贈り物(魚)をもらうよりは好きな魚は自分で買った方がよいと答えたことを受けて、韓非子かんびしが論評を加えた一節である。

人を使うは苦を使う
(ひとをつかうはくをつかう)

 人を使うのは何かと気苦労が多いもので、まるで苦を使っているようなものだということ。

人を使うは使わるる
(ひとをつかうはつかわるる)

 人を使うということは気苦労の多いことであるから、逆に人に使われているようなものだ。人間を管理することの難しさを言ったもの。

同意語: 「使う者は使われる
類語: 「奉公人に使われる」

人を呪わば穴二つ
(ひとをのろわばあなふたつ)

 他人に害をなそうとすると、自分もまた害を受けることになるということ。「穴」は墓穴の意。他人を呪い殺そうとして墓穴を掘る者は、もう一つ自分の墓穴も掘らねばならなくなるの意から言う。

同意語: 「人を呪えば身を呪う」、「人を呪わば穴七つ」
類語: 「人をはかれば人に謀られる」

人を見たら泥棒と思え
(ひとをみたらどろぼうとおもえ)

 人は信用できないものだから、まず用心深く疑ってかかれ。

類語: 「七度尋ねて人を疑え」、「人を見たら鬼と思え」、「明日は雨他人は泥棒」
反意語: 「七度ななたび尋ねて人を疑え」、「渡る世間に鬼はない

人を見て法を説け
(ひとをみてほうをとけ)

 人に働きかけるときは、相手をよく見て応変の言動をなせ。元来「法」は仏法の意。釈迦は相手の性質や能力に応じて、理解出来るように真理を説いたという。

類語: 「機に因りて法を説け」、「座を見て法を説け」

人を以て鑑となす
(ひとをもってかがみとなす)

 他人の言動をよく見て、自分の言動の手本とする。「鑑」は金属製の鏡、また見習うべき手本。『唐書・魏徴伝』に「人をもって鑑とさば、得失を明らかにすべし」とあるのによる。唐の太宗は、銅を鑑として衣冠を正し、いにしえを鑑として興亡の歴史を知り、人(名臣・魏徴ぎちょう)を鑑として言動の得失を明らかにしてきたが、魏徴の死に際し、今一つの鑑を失ったと言って、その死を惜しんだ。

人を以て言を廃せず
(ひとをもってげんをはいせず)

 人品が悪くとも内容が立派であれば、その人の意見は採用すべきである。『論語・衛霊公』に「君子は言をもって人を挙げず、人を以て言を廃せず」とあるのによる。見せかけだけで人を判断する愚を戒めつつ、どんな人物でもときにはよいことを言うから、それは素直に傾聴すべきであると孔子は教える。

同意語: 「人をもって言を捨てず」

脾肉の嘆
(ひにくのたん)

 功名を発揮する機会に恵まれず、いたずらに時を過ごすことを嘆くたとえ。しょく劉備りゅうびは、馬に乗って戦場を駆け巡ることが久しくないために、ももの肉(脾肉ひにく)が肥え太ったことを嘆いたという。『三国志・蜀志・先主劉備伝』の注に引く『九州春秋』に見える故事で、「ちてかわやに至り、脾の裏に肉の生ずるを見て、愕然として流涕りゅうていす」とある。

火の無い所に煙は立たぬ
(ひのないところにけむりはたたぬ)

 うわさが立つのは、何かしらその原因があるからであるということ。煙が立つ以上は、必ず火(原因)があるとして言う。

同意語: 「煙あれば火あり」
類語: 「かぬ種は生えぬ」、「物がなければ影ささず」、「無い名は呼ばれず」

火は火元から騒ぎ出す
(ひはひもとからさわぎだす)

 火事の際は、まず火元から騒ぎ出す。転じて、事件が起こったときは、まっさきに騒ぎ出した者が当事者であることが多いことを言う。

類語: 「屁と火事は元から騒ぐ

眉目秀麗
(びもくしゅうれい)

 顔かたちがすぐれ、ととのっているさま。

百尺竿頭
(ひゃくしゃくかんとう)

 到達すべき最高点、向上しうる極致のたとえ。

百尺竿頭一歩を進む
(ひゃくしゃくかんとういっぽをすすむ)

 努力に努力を重ねて高い目標に到達した後でも、さらに努力して工夫を加えること。百尺(約三十メートル)もの高きにある竿さおの先をさらに一歩進めるの意から言う。『景徳伝灯録』に「百尺竿頭ひゃくしゃくかんとうすべからく歩を進めて十方世界は是れ全身なるべし」とあるのによる。唐の長沙景岑けいしんのことば。

同意語: 「竿頭かんとう歩を進む」

百戦百勝は善の善なる者にあらず
(ひゃくせんひゃくしょうはぜんのぜんなるものにあらず)

 敵と戦って百戦百勝するのはよいことには違いないが、最上の善ではない。戦わずして勝つことこそが最上の善である。『孫子・謀攻』に「百戦百勝は善の善なる者にあらざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」とあるのによる。国や軍や兵を破ることより、それを損なわないで勝つことが最上の策だと説く。

百戦錬磨
(ひゃくせんれんま)

 多くの経験を積んで技術や才能を向上・錬成すること。

百日の説法屁一つ
(ひゃくにちのせっぽうへひとつ)

 長い間のひたむきな苦労や苦心が、ちょっとしたつまらない失敗で台なしになること。百日もの間、熱心に仏法を説いた僧が、最後にうっかりおならをしたために、それまで築いてきた尊崇の念を一気に失ってしまうことから言う。

同意語: 「七日の説法屁一つ」
類語: 「磯際で船を破る」、「九仞きゅうじんの功を一簣いっきに欠く」、「草鞋履き際で仕損ずる」

百年河清を俟つ
(ひゃくねんかせいをまつ)

 いくら待っていても実現することのない望みのたとえ。千年に一度しか澄むことがないといわれる黄河の水が澄むのを待つの意から言い、世の太平を待ち望むたとえともする。『春秋左氏伝』に見える故事に基づく。

同意語: 「河の清むを俟つ」、「河清を俟つ」

百聞は一見に如かず
(ひゃくぶんはいっけんにしかず)

 人から話を聞くよりも自分の目で実際に見る方が確実であるということ。百回聞くより一回見た方が納得が行くとして言う。『漢書・趙充国伝』に「百聞は一見に如かず。兵はるかにはかり難し。臣願わくは馳せて金城に至り、して方略をたてまつらん」とあるのによる。前漢の充国じゅうこくが宣帝の質問に答えたときのことば。

同意語: 「千聞一見に如かず」
類語: 「見ると聞くとは大違い」、「聞いた百両より見た一両」、「聞いて極楽見て地獄」、「聞いて千金見て一毛」

百里を行く者は九十を半ばとす
(ひゃくりをゆくものはきゅうじゅうをなかばとす)

 物事は終わりの方に困難が多いものだから、最後まで気をゆるめずに努力しなければならないということ。百里の半分は五十里ではなく、九十里だと心得るべきだとして言う。『戦国策・秦』に「詩に云う」として、「『百里を行く者は九十を半ばとす』。れ末路の難きを言う」とあるのによる。

同意語: 「百里を行く者は九十里を半ばとす」

冷や酒と親の意見は後薬
(ひやざけとおやのいけんはあとぐすり)

 ⇒「親の意見と冷や酒は後で効く

百花斉放
(ひゃっかせいほう)

 多くの花が一斉に開くこと。さまざまなものがその本領を発揮すること。

百家争鳴
(ひゃっかそうめい)

 いろいろな立場の学者が、自由に論争するさま。いろいろな議論が、にぎやかに自由になされる形容。

百花繚乱
(ひゃっかりょうらん)

 種々の花が咲きみだれるように、優れた人物や業績が一時にたくさん現れること。

百鬼夜行
(ひゃっきやこう)

 (1)ありとあらゆる妖怪変化・「魑魅ちみ魍魎もうりょう」の類が夜中に列をなして歩き回ること。『江談抄』に小野たかむらと高藤卿が百鬼夜行に遭遇した陀羅尼だらに梵語ぼんごの呪文)を称した話がある。
 (2)多くの悪人や怪しげな者どもが我が物顔にのし歩くこと。

百発百中
(ひゃっぱつひゃくちゅう)

 矢や弾丸が撃つたびに必ず命中すること。予想、計画などがすべて当たり成功すること。

氷山の一角
(ひょうざんのいっかく)

 表立って現れたものは、全体のごく一部にしか過ぎないということ。氷山は全体の大半が海面下に隠れていることから言い、多くは表面化しない悪事などが他に多くあることをほのめかして使う。

平仄が合わぬ
(ひょうそくがあわぬ)

 物事のつじつまが合わないこと。漢詩を作るときに守るべき平字と仄字の書き方が規則に合っていないことから言う。中国語の漢字音には特定の高低のアクセント(四声)があり、それを大きく平と仄の二種に分けたものが「平仄ひょうそく」。平仄の厳格な規則が確立したのは、唐代の律詩と絶句においてである。

氷炭相容れず
(ひょうたんあいいれず)

 性質が正反対で、調和・一致しないこと。氷は火にとけ、火は氷で消えることから言う。

同意語: 「氷炭ひょうたん器を同じくせず」、「氷炭ひょうたん相並ばず」
類語: 「犬と猿」、「犬猿の仲」、「水と油」

瓢箪から駒
(ひょうたんからこま)

 思いもかけないことが真実となって現れてくること。「駒」は馬。瓢箪から馬が出てくることなどはありえないことから、道理上ありえないことのたとえともする。

同意語: 「瓢箪ひょうたんから駒が出る」
類語: 「嘘から出た実」、「灰吹きからじゃが出る」

瓢箪で鯰を押さえる
(ひょうたんでなまずをおさえる)

 つかまえどころがないこと、要領を得ないことのたとえ。ぬるぬるしたなまずをつるつるした瓢箪ひょうたんでつかまえようとする意から言う。

同意語: 「瓢箪ひょうたんなまず

瓢箪に釣り鐘
(ひょうたんにつりがね)

 比べ物にならないことのたとえ。ぶら下がっていることだけは共通するが、大小・軽重とも比較にならないことから言う。

同意語: 「提灯ちょうちんに釣り鐘
類語: 「雲泥の差」、「月とすっぽん」、「はし虹梁こうりょう

瓢箪の川流れ
(ひょうたんのかわながれ)

 浮き浮きして落ち着きのないようのたとえ。ぷかぷか浮きながら川を流れる瓢箪のようすから、多く軽薄な男を冷やかして言う。

比翼の鳥
(ひよくのとり)

 契りの深い男女や、仲むつまじい夫婦のたとえ。「比翼の鳥」は雌雄ともに目と羽が一つずつで、常に二羽が一体となって飛ぶという想像上の鳥。「比翼」は翼を並べるの意。『爾雅・釈地』に「南方に比翼の鳥有り。比せずんば飛ばず」とあり、唐の白居易はくきょいの詩『長根歌』には「天に在りては願わくは比翼の鳥とり、地に在りては願わくは連理の枝とらん」とあって、玄宗げんそう楊貴妃ようきひの愛を歌う。

同意語: 「天にあらば比翼の鳥地にあらば連理の枝」、「連理の契り」、「連理の枝」
類語: 「鴛鴦えんおうの契り」、「比目ひもくの魚」

比翼連理
(ひよくれんり)

 ⇒「天にあらば比翼の鳥地にあらば連理の枝

火を避けて水に陥る
(ひをさけてみずにおちいる)

 一つの災難を逃れた後で、またすぐに別の災難にあうこと。火を避けようとして水におぼれることから言う。

類語: 「一難去ってまた一難」、「虎口ここうを逃れて竜穴りゅうけつ」、「前門に虎をふせぎ後門に狼を進む」、「前門の虎後門の狼

火を以て火を救う
(ひをもってひをすくう)

 火は水で消すべきなのに、火で火を消そうとする。弊害を除こうとして、かえって害を大きくしてしまうたとえ。

類語: 「火を救うに薪を投ず」、「薪を抱きて火を救う

牝鶏晨す
(ひんけいあしたす)

 雌鳥めんどりが時を告げる意で、女性が勢力を振るうことのたとえ。『書経・牧誓』に古人の言として「雌鳥は時を告げることはない。雌鳥が時を告げたならば、家が滅びてしまう」というように、雄鶏おんどりに代わって雌鳥が時を告げることと、その家が滅びる前兆であるとした。

同意語: 「雌鳥めんどり歌えば家滅ぶ」、「牝鶏ひんけいしん」、「牝鶏ひんけい牡鳴ぼめい」、「牝鶏ひんけい時を告ぐる」、「牝鶏ひんけいあしたに鳴く」、「牝鶏ひんけいしんつかさどる」

品行方正
(ひんこうほうせい)

 行いや心がととのっていて正しいこと。道徳的にきちんとしていて模範的であること。

貧者の一灯
(ひんじゃのいっとう)

 ⇒「長者の万灯まんとうより貧者の一灯

貧すれば鈍する
(ひんすればどんする)

 人は貧乏をすると、頭の働きまで鈍くな(ってさもしい心をもつようにな)るということ。

同意語: 「貧すりゃ鈍する」
類語: 「恒産無き者は恒心無し

貧にして楽しむ
(ひんにしてたのしむ)

 貧乏であっても天命に安んじて道を修めることを楽しむ。君子の理想的境地を言う。『論語・学而』に「子貢しこう曰く、貧にしてへつらう無く、富みておごる無きは如何と。子曰く、可なり、未だ貧にして道を楽しみ、富みて礼を好む者にしかずと」とあるのによる。

貧の盗みに恋の歌
(ひんのぬすみにこいのうた)

 貧乏で生活が苦しいから盗みをはたらき、恋の悩みが辛いから歌をつくる。人間は、必要にせまられると、どんなことでもするようになるというたとえ。

貧乏人の子沢山
(びんぼうにんのこだくさん)

 子供を養育する余裕のない貧乏な者に限って子供が多いということ。

類語: 「律義者の子沢山

貧乏は達者の基
(びんぼうはたっしゃのもと)

 貧乏な生活をしていると、よく働き、ぜいたくな食事もしないので健康でいられるということ。

同意語: 「貧乏は壮健の母」

貧乏暇無し
(びんぼうひまなし)

 貧乏なために、日々の生活に追われて、ゆっくりくつろぐ暇もないということ。暇がないのは忙しく働いているからだとして、貧乏よりは暇がないことを嘆いたもの。