法界悋気
(ほうかいりんき)

 自分と関係ない他人のことに嫉妬すること。他人の恋をねたむ意もある。

放歌高吟
(ほうかこうぎん)

 大声で、あたりかまわず歌うこと。

判官贔屓
(ほうがんびいき)

 不遇な者や柔弱な者に同情して、それに味方しようとする気持ち。義経よしつねびいき。「判官」は「はんがん」とも読み、九郎判官源義経のこと。日本人の心的傾向として、兄の強者頼朝よりともよりも、薄幸の英雄義経に称賛と同情を寄せる傾向が強いことから言う。

類語: 「曾我そが贔屓びいき

忘形の交わり
(ぼうけいのまじわり)

 形、すなわち身分や貧富の差を越えた親しい交わりのこと。

類語: 「忘年の交わり」、「忘年の友」

暴虎馮河
(ぼうこひょうが)

 血気にはやり無謀な勇をふるうこと。とらを手打ちにし、大河を徒歩で渡るの意から言い、『論語・述而』に「暴虎馮河して死して悔い無き者は、吾ともにせざるなり。必ずや、事に臨んでおそれ、はかりごとを好んで成さん者なり」とあるのによる。

同意語: 「暴虎馮河の勇」

傍若無人
(ぼうじゃくぶじん)

 人前もはばからず、まるで近くに人がいないかのように勝手気ままに振る舞うこと。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い
(ぼうずにくけりゃけさまでにくい)

 その人を憎むあまり、その人の関係するすべてのものまで憎くなること。「袈裟けさ」は僧が肩からかける布。

同意語: 「法師憎けりゃ袈裟まで憎し」、「坊主が憎ければ袈裟まで憎し」
類語: 「親が憎けりゃ子も憎い」

坊主の花簪
(ぼうずのはなかんざし)

 持っていても何の役にも立たないことのたとえ。「花かんざし」は造花の飾りをつけたかんざし。

同意語: 「比丘尼びくにこうがい

坊主丸儲け
(ぼうずまるもうけ)

 坊主は元手なしで、利益を得ることができるということ。僧は元手なしで(お経を唱えるだけで)布施がもらえるとして、一般に、元手なしの、実入りのいい仕事をうらやんだり非難したりして言う。

類語: 「九層くそう

茫然自失
(ぼうぜんじしつ)

 気が抜けてぼんやりし、どうしてよいかわからなくなること。

蓬頭垢面
(ほうとうこうめん)

 髪の乱れた頭と垢のついた顔。外見を気にかけない無頓着なようす。

放蕩無頼
(ほうとうぶらい)

 言動にしまりがなく、酒色にふけり、思いのままに無法であること。

忘年の交わり
(ぼうねんのまじわり)

 長幼の序や年齢の差を忘れ、互いに相手の才学を尊重して親しく交わること。後漢の〓衡でいこう(〓は、左部が「示」で右部が「爾」)と孔融こうゆうとは年齢に三十年以上の開きがあったが、互いに敬意をもって親しく交際したという故事から。『後漢書・〓衡でいこう伝』に見える。

同意語: 「忘年の契り」、「忘年のこう」、「忘年の友」
類語: 「忘形の交わり

抱腹絶倒
(ほうふくぜっとう)

 腹をかかえて大笑いする。

棒ほど願って針ほど叶う
(ぼうほどねがってはりほどかなう)

 望みは大きくもっていても、実際にかなえられることはわずかであるということ。願望に比べてその成就が少なくて残念だの意にも、願望の成就はえてしてそんなものだとして納得する意にも言う。

同意語: 「富士の山ほど願って蟻塚ほど叶う」、「富士の山ほど願ってり鉢ほど叶う」

報本反始
(ほうほんはんし)

 根本に立ち返ってその恩を改めて肝に銘ずる。天地や先祖の恩恵や功績に感謝し、これに報いる決意を新たにすること。

忘憂の物
(ぼうゆうのもの)

 憂いを忘れさせてくれるものの意で、酒のことを言う。しん陶淵明とうえんめいの「飲酒の詩」に「秋、菊に佳色有り、露にぬれそのはなぶさをつむ、この忘憂の物にうかべ、我が世をわするるの情を遠くす」とある。

類語: 「酒は憂いの玉箒たまははき

亡羊の嘆
(ぼうようのたん)

 ⇒「多岐亡羊

暴を以て暴に易う
(ぼうをもってぼうにかう)

 暴力を取り除くのに暴力をもってすること。周の武王がいん紂王ちゅうおうを討伐しようとしたとき、武王の父文王を慕う伯夷はくい叔斉しゅくせいという二人の兄弟がこれをいさめたがついに聞き入れられず、武王は武力で殷を滅ぼした。兄弟は首陽山しゅようざんに隠れて、武王の暴力を嘆く歌(かの西山に登り、そのる、暴をもって暴にう、その非を知らず……)を作り、ついには餓死して果てたという。『史記・伯夷伝』にある故事による。

吠える犬は噛みつかぬ
(ほえるいぬはかみつかぬ)

 強がりを言ったり、やたらと威張ったりする者に限って、実力はないということ。同じ考えを裏から言ったものに、「能ある鷹は爪を隠す」がある。

同意語: 「吠える犬はめったに噛まぬ」
類語: 「光るほど鳴らぬ」、「能無しの口叩き

木石に非ず
(ぼくせきにあらず)

 人間は木や石と違って喜怒哀楽の心をもっているということ。匈奴きょうどくだった李陵りりょうを弁護して、漢の武帝の怒りを買った司馬遷しばせんが、獄中から友人の任安じんあんあざな小卿しょうけい)にあてて受刑者の苦悩を記した手紙(じん小卿しょうけいに報ずるの書)の中に、「交游こうゆうも救うく、左右親近をるに一言をもさず。身は木石に非ず、独り法吏と伍を為し、深く囹圄れいご(牢獄)の中に幽せらる。誰か告愬こくそすべき者ぞ」とあるのによる。

北芒の塵
(ほくぼうのちり)

 死んで塵となること。「北芒」は洛陽らくようの北東にある山で、墓地として名高い。唐の劉廷芝りゅうていしの「公子行」に「百年ともに謝す西山の日、千秋万古北芒の塵」とある。

同意語: 「北芒一片の煙」

星を戴きて往く
(ほしをいただきてゆく)

 星がまだ消えていない夜明け前に家を出る。朝早くから出かけること。仕事一筋に精励していることを言う。

同意語: 「星を戴いて出で星を戴いて帰る」

臍を噛む
(ほぞをかむ)

 後悔すること。「ほぞ」はへその意の古語。へそを噛もうとしても口が届かないことから、もはや及ばないことを悔やむ意となった。『春秋左氏伝・荘公六年』に「し早く図らざれば、後に君臍を噛まん」とある。

ぽつぽつ三年波八年
(ぽつぽつさんねんなみはちねん)

 日本画で、ぽつぽつと点でこけを描けるようになるのに三年、波を巧みに描くのに八年の歳月がかかる。どの世界でも、一人前になるにはそれなりの年月が必要だということ。

類語: 「首振り三年ころ八年

仏千人神千人
(ほとけせんにんかみせんにん)

 世間には善人もなかなか多いということ。「仏」「神」は善人の、「千人」は多数のたとえ。世の中には悪人も多いが、しかし……といった気持ちで言う。

仏作って魂入れず
(ほとけつくってたましいいれず)

 苦心して作った物が肝心な天を抜かしたために何の役にも立たなくなること。仏像を作っていながら肝心の魂が入っていないの意から言う。

同意語: 「仏作っても開眼かいげんせねば木の切れも同然」、「仏作ってまなこを入れず」
類語: 「画竜点睛を欠く

仏の顔も三度
(ほとけのかおもさんど)

 どんなに温厚な人でも、何度も非道なことをされれば、しまいには怒り出すということ。

同意語: 「地蔵の顔も三度」、「仏の顔も三度まで」、「仏の顔も三度挑むれば腹が立つ」、「仏の顔も日に三度」

仏の光より金の光
(ほとけのひかりよりかねのひかり)

 仏の有り難さも金の有り難さには及ばないということ。「光」は威光の意で、金の威光の大きいことを言う。

類語: 「阿弥陀も銭で光る」、「現世も後世も金次第」、「地獄の沙汰さたも金次第

骨折り損の草臥れ儲け
(ほねおりぞんのくたびれもうけ)

 苦労しても何の効果も上がらず、ただ疲労だけが残ったということ。くたびれたことが儲けだと揶揄やゆして、「骨折り損」を強めて言う。

類語: 「しんどが得」、「船盗人を徒歩で追う」、「湯を沸かして水にする」、「労あって功無し」、「労多くして益無し」、「労多くして功少なし

誉れは毀りの基
(ほまれはそしりのもと)

 人の称賛を得ることはやっかみを買うことでもあるから、人に非難される原因ともなるということ。

同意語: 「褒むるはそしるの基」
類語: 「高木は風に倒る

洞ヶ峠を決め込む
(ほらがとうげをきめこむ)

 形勢を見て、いつでも有利な方につけるような大勢をとること。織田信長の没後、羽柴秀吉と明智光秀が京都山崎で戦ったとき、大和の武将筒井順慶じゅんけいは、洞ヶ峠に軍をとどめて形勢を傍観し、有利な方に味方しようとしたという故事による。「洞ヶ峠」は京都府と大阪府の境にある。

同意語: 「順慶を決め込む」、「洞ヶ峠」
類語: 「首鼠しゅそ両端」、「日和見を決め込む」、「両端を

法螺と喇叭は大きく吹け
(ほらとらっぱはおおきくふけ)

 どうせほらを吹く(嘘をつく、大げさなことを言う)なら、思い切り大きく吹いた方がよいということ。

蒲柳の質
(ほりゅうのしつ)

 体が弱く、病気にかかりやすい体質であること。「蒲柳ほりゅう」は楊柳かわやなぎのこと。秋になると葉がすぐに落ちることから言う。りょうの簡文帝が顧悦之こえつしに、なぜそんなに早く白髪になったのかと聞いたとき、「松柏しょうはく姿は霜を経てなお茂り、蒲柳の常質は秋を望んでず落つ」と答えたのによる。『晋書・顧悦之伝』に見える故事。

同意語: 「蒲柳の姿

惚れた腫れたは当座のうち
(ほれたはれたはとうざのうち)

 惚れたの惚れられたのと言って喜んでいられるのは、夫婦になりたて(あるいは、恋の初め)のときだけであるということ。恋愛は必ずその初めに激しい情念を伴うものだということをふまえて、恋心のさめやすいことを言う。

惚れた病に薬なし
(ほれたやまいにくすりなし)

 恋は一種の病気だと言ってもいいが、これを治す薬はない。自然に治るのを待つしかないということ。

同意語: 「恋の病に薬なし」

惚れた欲目
(ほれたよくめ)

 惚れてしまうと、欠点までが美点に見えてしまうということ。「欲目」は、こうあって欲しいと思うように見てしまう意。

類語: 「屋烏の愛」、「痘痕も靨」、「恋する人は欠点を見ず」

惚れて通えば千里も一里
(ほれてかよえばせんりもいちり)

 惚れた人のもとへ通うのなら、遠い道のりも短く感じられる。俗謡の一節から。

盆と正月が一緒に来たよう
(ぼんとしょうがつがいっしょにきたよう)

 非常に忙しいことのたとえ。また、うれしいことが重なることのたとえ。盆や正月にはそれに特有のいろいろな行事があること、また、昔は奉公人にとってどちらも数少ない休日だったことから言う。

同意語: 「盆と正月が一時いっときに来たよう」、「盆と正月が一度に来たよう」

煩悩の犬は追えども去らず
(ぼんのうのいぬはおえどもさらず)

 人が煩悩を去ることの困難さを言う。人が煩悩を断ち切れないことを、人につきまとう犬に見立てて言う。

同意語: 「煩悩の犬は打てども門を去らず」、「煩悩は家の犬打てども去らず」

本末転倒
(ほんまつてんとう)

 物事の重要なところと、そうでないところを逆に捉えたり、扱ったりすること。

本来無一物
(ほんらいむいちもつ)

 この世にあるすべてのものは仮のものにすぎないから、執着すべきものは何もないということ。禅宗ですべてを脱却した自由自在の心境を言い、悟りの境地とする。『六祖壇経』に「本来無一物、いずれの処にか塵埃じんあいかん」とある。

盆を戴きて天を望む
(ぼんをいただきててんをのぞむ)

 同時に二つのことをなしえないことのたとえ。盆を頭に載せると天が見えず、天を見ようとすれば盆を頭に上に載せることはできないことから言う。司馬遷しばせんの「任小卿じんしょうけいに報ずるの書」に「僕以為おもえらく、盆を戴かば何をて天を望まん。故に賓客の知を絶ち、室家しつかの業をわすれ、……務めて心を一にし職を営み、以て主上に親媚しんびせんことを求む」とあるのによる。司馬遷は、盆を頭から取り去って(友人や家のことを忘れて)、主上の気に入るように職務に励んだのである。