布衣の交わり
(ふいのまじわり)

 身分の低いもの同士の交際。また、お互いの身分地位を考慮に入れない心からのつきあい。

風雲急を告げる
(ふううんきゅうをつげる)

 今にも大事変が起こりそうな緊迫した情勢であること。風が起こり雲が巻いて大自然が変事の予兆を告げるの意から言う。

風雲に乗じる
(ふううんにじょうじる)

 乱世の流れに乗って活躍すること。

風雲の志
(ふううんのこころざし)

 風雲に乗じて大事業を成し遂げようとする志のこと。

富貴天に在り
(ふうきてんにあり)

 富貴は天から与えられるものであるということ。『論語・顔淵』に「死生めい有り、富貴天に在り」とあるのによる。所詮、人力の及ぶところではないの意で言う。

類語: 「運は天にあり」、「めいは天にあり」

風光明媚
(ふうこうめいび)

 山水の風景が清らかで美しいこと。

風餐露宿
(ふうさんろしゅく)

 風の中で食事を取り、露に濡れて宿る。野宿をすること。

風樹の嘆
(ふうじゅのたん)

 親孝行をしようと思い立ったときにはすでに親がなく、孝行をしたくともできないという嘆き。『韓詩外伝』に「樹静かならんと欲すれども風まず、子養わんと欲すれども親待たざるなり」とあるのに基づく。孝行をしたくとも親のいない嘆きを風に乱される樹木の動揺に見立てて、親の生きているうちに孝行はすべきだと説く。

同意語: 「樹静かならんと欲すれども風止まず」、「風樹の嘆き」、「風樹の悲しみ」、「風木の嘆」、「風木の嘆き」、「風木の悲しみ」
類語: 「孝行をしたい時分に親はなし」、「子養わんと欲すれども親待たず」、「墓に布団は着せられぬ

風声鶴唳
(ふうせいかくれい)

 おじけづいた人がちょっとしたことにも驚き怖がること。「風声」は風の音、「鶴唳」は鶴の鳴き声。敗軍の兵が風の音や鶴の鳴き声にも、敵が来たかとびくつくことから言う。『晋書・謝玄伝』に「風声鶴唳を聞き、皆もって王の師すでに至ると為す。草に行き露に宿り、重ぬるに飢凍を以てし死する者十に七八なり」とあるのによる。風声鶴唳を聞いたのは、東しん謝玄しゃげんと戦って敗れた秦の苻堅ふけんの軍勢で、これが有名な「肥水ひすいの戦い」(382年)である。

類語: 「水鳥の羽音に驚く」、「落ち武者はすすきの穂にず」、「落人おちうどは草木にも心を置く」

風前の灯火
(ふうぜんのともしび)

 危険が迫って滅ぶ寸前であるようす。風に吹かれる灯火は今にも消えそうなことから言い、非常に心もとないことのたとえともする。『倶舎論・疏』に「寿命はなお風前の灯燭とうしょくごとし」とある。

同意語: 「風の前の灯火」、「風口かざぐち蝋燭ろうそく」、「風中ふうちゅうしょく
類語: 「風の前の雲」、「風の前のちり

風俗壊乱
(ふうぞくかいらん)

 世の中の健全・善良な風俗や風習が乱れ、害されること。

風馬牛も相及ばず
(ふうばぎゅうもあいおよばず)

 (1)さかりのついた馬や牛の雌雄が互いに求め合っていても、会うことができないほど遠く隔たっていること。
 (2)物事に全く関心を示さないこと。我関せずえん
 「風」はさかりがつく意の動詞。『春秋左氏伝・僖公伝四年』に「君は北海にり、寡人は南海に処る。ただれ風馬牛も相及ばざるなり」とあるのによる。


同意語: 「風する馬牛も相及ばず」、「風馬牛」

夫婦喧嘩は犬も食わない
(ふうふげんかはいぬもくわない)

 夫婦喧嘩の細かい内情は知り難く、かつ一時的なものであるから、他人の仲裁や口出しは無用であるということ。雑食性で残飯まであさる犬でさえ食わないとして言う。

同意語: 「夫婦喧嘩と夏の餅は犬も食わない」、「夫婦めおといさかいは犬も食わない」

夫婦は合わせ物離れ物
(ふうふはあわせものはなれもの)

 夫婦というものはもともと他人同士がくっついたのだから、別れたとしても不思議でもないし、仕方のないことだということ。

類語: 「合わせ物は離れ物

夫婦は二世
(ふうふはにせ)

 ⇒「親子は一世

夫婦別あり
(ふうふべつあり)

 親しい夫婦の間であっても、互いに遠慮や礼儀などがあるべきだということ。

風流韻事
(ふうりゅういんじ)

 詩歌、書画、華道、茶道などの風流な遊び。俗から離れ自然を友として詩歌などをつくる高尚な態度。

武運長久
(ぶうんちょうきゅう)

 戦いにおける良い運が久しく続くこと。

笛吹けども踊らず
(ふえふけどもおどらず)

 あれこれ手を尽くして誘ったり勧めたりするのに、それに応じようとしないこと。『新約聖書・マタイ伝・十一章』に「笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった」とあるのによる。イエスは、「今の時代は、広場に座って、こう呼びかけている子供たちに似ている」と言って、バプテスマのヨハネやイエスが世に容れられないことを子供たちのことばに託した。“We piped for you and you would not dance.”

俯仰天地に愧じず
(ふぎょうてんちにはじず)

 ⇒「仰いで天に愧じず

複雑怪奇
(ふくざつかいき)

 内容が込み入っていて不可解なこと。奇妙きてれつ。

複雑多岐
(ふくざつたき)

 物事が多方面に分かれ、込み入っているさま。

覆車の戒め
(ふくしゃのいましめ)

 ⇒「前車のくつがえるは後車の戒め

覆水盆に返らず
(ふくすいぼんにかえらず)

 一度離別した夫婦は元通りにはならないということ。また、一度してしまったことは取り返しがつかないということ。一度こぼした水は再び盆には返らないことから言う。「盆」は中央が丸くくぼんだ器を言い、いわゆる「盆(器を載せて運ぶ器物)」ではない。前漢の朱買臣しゅばいしんが高位につくと、別れた妻が馬前に再拝して再縁を願い出たが、買臣は盆の水を地にこぼしてみせて、一度離婚した夫婦は二度ともとには戻らないことを言ったという。『通俗編・朱買臣の妻』に見える故事に基づくが、同様の話は周の太公望とその前妻との間にもある。英語の“It is no use crying over spilt milk.(こぼれたミルクを嘆いても始まらない)”も、しばしば「覆水盆に返らず」と訳される。

類語: 「落花枝に上り難し破鏡再び照らさず

不倶戴天
(ふぐたいてん)

 命をかけてでも報復しないではいられないこと。ともに天をいただかずの意。「不倶戴天の敵」などと使って、恨みや憎しみの深い敵の意に使う。『礼記・曲礼上』に「父のあだはともに天を戴かず。兄弟けいていの讐は兵にかえらず。交遊こうゆうの讐はくにを同じくせず」とあるのによる。

同意語: 「倶に天を戴かず」

福徳円満
(ふくとくえんまん)

 福と徳、すなわち幸福と財産が充分に備わって満ち足りていること。

河豚は食いたし命は惜しし
(ふぐはくいたしいのちはおしし)

 快楽や利益は得たいが、後のたたりや危険が怖くてためらうこと。おいしい河豚は食べたいが、毒にあたることを思うと手が出ないことから言う。

不言実行
(ふげんじっこう)

 あれこれ言わずに、黙って実際に行動すること。

巫山の夢
(ふざんのゆめ)

 男女が夢の中で結ばれること。また、男女の情交がこまやかなこと。かい王が高唐(巫山ふざんの南側の斜面に建てられた楼観)に遊び、うとうとと昼寝をするうち、巫山の神女しんにょと名乗る女性と契りを結んだ夢を見た。神女は「私は巫山の南の丘の上(陽台ようだい)に住んでいます。朝には雲となり夕には夕立となって朝な夕なこちらに参りましょう」と言って去ったという。『文選・宋玉・高唐の賦』に見える故事。

同意語: 「雲雨うんう巫山」、「陽台ようだい不帰の雲」、「巫山の雨」、「巫山の雲」、「巫山雲雨うんう

無事息災
(ぶじそくさい)

 事故や病気などの心配事がなく、平穏に暮らしていること。

武士に二言はない
(ぶしににごんはない)

 武士は信義に厚いので、いったん言ったことばを取り消すようなことはしないということ。

同意語: 「さむらい二言なし」、「武士に二言なし」
類語: 「君子に二言なし」、「男子の一言金鉄の如し」、「武士の一言いちごん金鉄きんてつごとし」

武士の商法
(ぶしのしょうほう)

 ⇒「士族の商法

武士は相身互い
(ぶしはあいみたがい)

 同じ立場にある者は、互いに思いやりをもって助け合わなければならないということ。

同意語: 「さむらいは互い」、「さむらいは相身互い」

武士は食わねど高楊枝
(ぶしはくわねどたかようじ)

 貧しい境遇にあっても、気ぐらい高く、泰然としていることのたとえ。「高楊枝」は「高楊枝を使う」を簡略化した言い方で、ゆうゆうと楊枝を使うの意。名誉を重んじる武士は、たとえ貧しくて食事ができないときでせ、ゆうゆうと楊枝を使って、満腹したかのような様子を見せる(あるいは、見せねばならない)意から言う。

類語: 「鷹は飢えても穂を摘まず

不惜身命
(ふしゃくしんみょう)

 仏の教えのためには、あえて生命をも惜しまないということ。『法華経・譬喩』に「し人精進しょうじんし常に慈悲を修め身命を惜しまざれば、すなわために説くべし」とあるのによる。「しんみょう」は呉音で、今は「しんめい」と漢音で読むことが多い。

類語: 「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ

夫唱婦随
(ふしょうふずい)

 夫が言い出し、妻がそれに従うこと。夫婦の仲がとても良く、和合していること。

負薪の憂い
(ふしんのうれい)

 ⇒「采薪さいしんの憂い

布施ない経に袈裟を落とす
(ふせないきょうにけさをおとす)

 布施がないと、僧は経を読むときに袈裟もつけない。人間は報酬が少ないと仕事もいい加減にするというたとえ。

不即不離
(ふそくふり)

 二つのものがつきも離れもしないこと。当たらずさわらずあいまいなようす。

豚に真珠
(ぶたにしんじゅ)

 価値の分からない者には、貴重なものも何の役にも立たないということ。『新約聖書・マタイ伝』山上さんじょう垂訓すいくんに「神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。犬も豚もそれを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう」とあるのによる。“Cast not pearls before swine.”

同意語: 「猫に小判
類語: 「馬の耳に念仏

豚に念仏
(ぶたにねんぶつ)

 その身を思って有意義なことを話しても、何の効果もないこと。「豚に念仏犬に経」のように対句の形でも言う。

同意語: 「馬の耳に念仏
類語: 「猫に小判

二股膏薬
(ふたまたごうやく)

 都合次第であちらについたりこちらについたりして、定見・節操がないこと。内股に貼った膏薬が両方の股にくっつくの意で、昔の膏薬は表裏両面ともべたついたことから言う。

同意語: 「内股うちまた膏薬」

二人は伴侶三人は仲間割れ
(ふたりははんりょさんにんはなかまわれ)

 二人だと仲良くやっていけるが、三人になるととかく仲間割れになるということ。英語の“Two is company, three is none.”の訳語の一つ。

同意語: 「二人はよい連れ三人は仲間割れ」

釜中の魚
(ふちゅうのうお)

 目前の危機や災いも知らずに安逸をむさぼること。魚が煮られることも知らずに釜の中で泳いでいることから言い、生きていても先が短いことのたとえにも使う。『後漢書・張綱伝』に「あつまりて生をぬすむこと魚の釜中にあそぶがごとく、須臾しゅゆ(しばし)の間に喘息するのみ」とあるのによる。後漢の順帝の時代、張綱が賊徒ぞくと張嬰ちょうえいに帰順を勧めたときに、張嬰が答えたことば。

同意語: 「魚の釜中に遊ぶがごとし」、「魚遊釜中」

不撓不屈
(ふとうふくつ)

 どんな困難に出会ってもけっして心がくじけないこと。

不得要領
(ふとくようりょう)

 物事の要点がはっきりしないこと。あいまいでわけのわからないこと。

船盗人を徒歩で追う
(ふなぬすびとをかちでおう)

 無駄な骨折りをすること。船を盗んでぎ逃げる泥棒を陸上から追いかける意から言う。

同意語: 「ふな盗人ぬすびとを陸で追う」
類語: 「骨折り損の草臥くたびもう」、「無駄骨を折る」、「労多くして功少なし

舟に刻みて剣を求む
(ふねにきざみてけんをもとむ)

 時勢が移り変わっていることを知らずに、かたくなに旧を守ること。揚子江ようすこうを舟で渡る途中、誤って剣を川に落とした男が、舟の流れ動くことを考えず、剣が落ちた船端に目印をつけてそれを剣が落ちた場所の印とした。岸についてその下を捜したが剣は見つからなかったという。『呂氏春秋・察今』に見える故事に基づき、古いやり方などに頑固にこだわる人をからかって言う。

同意語: 「刻舟こくしゅう」、「舟にこくしてつるぎを求む」

船は帆でもつ帆は船でもつ
(ふねはほでもつほはふねでもつ)

 世の中は互いに助け合い補い合って、初めてうまくゆくものだということ。帆がなくては船は動かず、船がなくては帆は用をなさないことから言う。

類語: 「車の両輪」、「唇歯輔車しんしほしゃ」、「鳥の両翼」

船は帆任せ帆は風任せ
(ふねはほまかせほはかぜまかせ)

 成り行きに任せて物事を行うことのたとえ。船の進む方向は帆の向くままに、帆の向きは風の吹くままに任せるの意から、自分の思い通りにならない事柄については、先を案じるよりも自然の成り行きに任せておけば結構うまくゆくものだとして言う。

不偏不党
(ふへんふとう)

 どちらにもかたよらず公平中立の立場に立つこと。一党一派に組みしないこと。

父母の恩は山よりも高く海よりも深し
(ふぼのおんはやまよりもたかくうみよりもふかし)

 ⇒「父の恩は山よりも高く母の恩は海よりも深し

冬来たりなば春遠からじ
(ふゆきたりなばはるとおからじ)

 厳しい冬が来たということは、もうすぐ暖かい春が来るということだ。字義どおり、春の到来を待ちわびる意にも、苦難を耐え忍べば、やがて必ず歓喜に満ちた幸せが来ることのたとえにも使う。イギリス・ロマン派の詩人シェリーの「西風に寄せる頌歌しょうか」の最後の一節“Winter comes, can Spring be far behind?”による。西風は死の季節(冬)を招来しながらも、その荒々しい息吹によって、生命に満ちた春を準備すると歌って、詩人は新しい覚醒の時代が到来することを予言した。

武陵桃源
(ぶりょうとうげん)

 俗世間から遠く離れた別天地のこと。理想郷。仙境。ユートピア。しんの太元のとき、武陵の漁夫が川をどこまでもさかのぼっていくと、桃花の林に出た。林が尽き水源に至ると、山があった。舟を捨てて山の小口(小さな洞穴)を入ると、やがて視界は豁然かつぜんと開け、そこにはしんの遺民が俗界を離れて住む平和な村落があったという。陶淵明とうえんめいの「桃花源の記」に描かれた空想の世界で、その後ここを訪れた者はないとされる。

同意語: 「とうげんきょうとうげんきょう」、「桃花源」、「桃源」

ブルータス、お前もか
(ぶるうたす、おまえもか)

 信頼していたお前までも私を裏切るのかの意。古代ローマの政治家、カエサル(英語名、シーザー)が暗殺されるとき、暗殺者の中に最も心を許していたブルトゥス(英語名、ブルータス)がいるのを認めて、驚いて発したと言われることば。シェークスピアの『ジュリアス・シーザー』のシーザーの台詞(ラテン語)に、“Et tu, Brute?(英語では、“And you, Brutus?”)”とあるのによる。この後、シーザーは「それなら倒れるがよい、シーザー」と自らに言い聞かせるように叫んで、ブルータスの手にかかって果てる。

古川に水絶えず
(ふるかわにみずたえず)

 代々富豪で鳴らした旧家は、没落した後でも昔をしのばせる立派な物を残しているということ。また、基盤がしっかりしていれば、衰えてもたやすくは滅亡しないということ。一見れているように見える古い川も、よく見れば、地下に脈々たる水流があるの意で言う。

同意語: 「古川ふるかわに水れず」

古木に手をかくるな若木に腰をかくるな
(ふるきにてをかくるなわかぎにこしをかくるな)

 将来性のない者には構うな、今、芽が出ていなくとも将来性のある者には敬意を払えということ。「手をかける」は自分から進んで面倒を見る意で、「腰をかける」は尻に敷いて座る意。

同意語: 「若木に腰掛けな

故きを温ねて新しきを知る
(ふるきをたずねてあたらしきをしる)

 ⇒「温故知新

不惑
(ふわく)

 ⇒「四十にして惑わず

付和雷同
(ふわらいどう)

 自分の主義主張を持たず、人の言動につられて行動すること。深く考えず、他人の意見に簡単に同調すること。

類語: 「曲意逢迎きょくいほうげい」、「唯唯諾諾いいだくだく」、「矮子看戯わいしかんぎ

刎頸の交わり
(ふんけいのまじわり)

 このうえもなく親密な交わり。「刎頸ふんけい」はくびねることで、春秋時代に、ちょうの恵文王の名臣藺相如りんしょうじょと名将廉頗れんぱが、友人のためなら頸を刎ねられても後悔しないほどの深い交わりを結んだことから言う。『史記・廉頗藺相如伝』に見える故事に基づく。

同意語: 「刎頸ふんけいの友」
類語: 「管鮑かんぽうの交わり」、「金石の交わり」、「金蘭の契り」、「水魚すいぎょの交わり」、「断琴の交わり」、「断金の交わり」

粉骨砕身
(ふんこつさいしん)

 我が身のことを忘れて力の限りを尽くすこと。骨を粉にし身を砕く意から言う。

同意語: 「身をにする

焚書坑儒
(ふんしょこうじゅ)

 しんの始皇帝が儒教の経典や諸子の書物を焼き、儒者を穴埋めにしたこと。転じて、言論・思想の弾圧を言う。「坑」は穴埋めにする意。『史記・始皇本紀』に、帝即位の紀元前213年、宰相李斯りしの建言をいれて実施、医薬・卜筮ぼくぜい・農事書以外の書物をことごとく焼き捨て、翌212年には四百六十余人の学者を都の咸陽かんようで生き埋めにしたとある。

文人墨客
(ぶんじんぼっかく)

 文人と芸術家。詩文、書画など風雅ないとなみに携わる人。

糞土の牆はぬるべからず
(ふんどのしょうはぬるべからず)

 志のしっかりしていない者には、教えるかいがないということ。「糞土ふんど」はぼろぼろに腐った土。「しょう」は壁。腐った土で造った壁は上塗りができないとして言う。弟子の宰予さいよが昼寝をしているのを見た孔子が慨嘆して言ったことばで、『論語・公治長』に「朽木きゅうぼくるべからざるなり。糞土の牆はぬるべからざるなり。予にいてか何ぞちゅうせしめん」とあるのによる。

類語: 「朽木きゅうぼくるべからず

文は人なり
(ぶんはひとなり)

 文章を見るとその人の人柄が分かるということ。フランスの博物学者ビュフォンが、1753年、アカデミー・フランセーズの新会員となったときの入会演説『文章論』に基づく。本来的には、文章とは人間の精神活動そのものであり、人が思考の中に配置する秩序と運動に他ならないから、盗まれたり持ち去られたりするものではないの意だという。

分別過ぐれば愚に返る
(ふんべつすぐればぐにかえる)

 考えが過ぎると、かえってつまらない考えに陥ってしまうということ。

類語: 「過ぎたるはなお及ばざるがごと

文明開化
(ぶんめいかいか)

 人知が発達し世の中が開けて生活が便利になること。