独創性と正当性
大学院の修了式を終えた。感慨深いなあとかいうことも別になくて、今日の話題は修了式内で聞いたある話についてである。
ある人が、「研究には独創性と正当性が必要だ。正当性を示せなければただの独り善がりになってしまう」と言っていた。これ、CWのシナリオにもあてはまるよなあと思った。少なくともシナリオに関しては必ずしも独創的である必要はないと思うのだが、独創的であることを言い訳にして、正当性をないがしろにしている場合が多いのではないだろうか。この正当というのは正統派シナリオなどという場合とは違って、いわばプレイヤに向けての説得力である。独創的な内容を、プレイヤを無視して押しつけるのではただの独り善がりになってしまう。それをいかに理解させるか、いかに楽しんでもらうか。そういったことを良く考える必要があるのではないかと思うのだ。
ある人が、「研究には独創性と正当性が必要だ。正当性を示せなければただの独り善がりになってしまう」と言っていた。これ、CWのシナリオにもあてはまるよなあと思った。少なくともシナリオに関しては必ずしも独創的である必要はないと思うのだが、独創的であることを言い訳にして、正当性をないがしろにしている場合が多いのではないだろうか。この正当というのは正統派シナリオなどという場合とは違って、いわばプレイヤに向けての説得力である。独創的な内容を、プレイヤを無視して押しつけるのではただの独り善がりになってしまう。それをいかに理解させるか、いかに楽しんでもらうか。そういったことを良く考える必要があるのではないかと思うのだ。
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