これまでは大体私が経験した順に書いてきたが、以降は私が五年(+二年)間の応援団生活で経験してきたことを何らかのイベントごとにまとめて書いていく。
今の時代、夏場に学生服をきっちりと着込んで大声を張り上げる応援団などに入りたがる酔狂な人間などほとんど存在しない(※1)。ゆえに、我々は新入団員を獲得するために非常に苦労していた。これは他の高専の応援団(※2)にしても同様であったようで、大会の直前に寮生を借り出して、即席の団員として使っていた所もあったようだ。我々電波応援団にはそんな権力などありはしないので、少ない団員で少数精鋭(※3)を気取って頑張るしかなかったのである。
電波高専は、以前にも書いたように、必ず何かのクラブに所属しなければならないという規則がある。我々はこれを利用して新入団員を獲得するのである。応援歌練習と並行して仮入部期間があり、応援歌練習が終わる直前あたりに仮入部期間も終わる。そこで、その時点でクラブに入っていない者を無理矢理応援団に入れてしまうのである。
応援歌練習の後、解散させる前に「まだクラブに入っていない者は残れ!」と言っておく。大抵は知らん顔をして逃げてしまうが、やはり正直者な十何人かは残る。そこで、何故クラブに入っていないのかと尋ねるのである。なるべく強面な人間が竹刀でつつきながら質問をするのであるから、これは新入生にとってはかなりの恐怖であろう。何人かは「○○部に入るつもりで、今日入部届けを出すつもりでした」とはっきり答えるが、大して考えていなかった学生は「いえ、あの、もっと色々見てから決めようと思って……」とか、「入りたいクラブがなくって……」などと気弱そうに答えるのである。そこで、竹刀を持った応援団が竹刀が壊れるぐらいの力を込めて床を叩き(※4)、
「仮入部期間はもう終わってんだよ!」
とやるのである。そして、マネージャーに名前を控えさせて戻らせる。放課後、団室に来るようにと言われた学生は、大抵青い顔をしてふらふらとした足取りをしていたものである。
放課後、団室に向かうと例年大抵何人かが団室の前を行ったり来たりしている。来てはみたものの、なかなか入る決心がつかずにふらふらしているのだ。そこへ私がズンズンと歩いていくと、ビクッとして慌てて頭を下げる。応援団員の中でも何故か私は特に顔を覚えられていることが多かった。それほど妙な顔でもしているのだろうか。
「どうした? 団室に用事か?」
「は、はい……」
小さい声で答える彼ら。
「そうか。じゃあ入れよ」
そう言って私は団室の扉を開ける。こういったキッカケがないと団室に入れないような学生は正直言ってあまり欲しくないのだが、他のクラブとは事情が違うので贅沢は言っていられない。
団室に入るとすでに何人かの新入生が立っていたりする。そして我々は彼らを座らせて応援団に入るように説得を始めるのである。
我々は直接的な暴力を振るうことは決してしない。これは昔からの伝統である。そして、他のクラブに入る意思がある者を無理矢理に入団させることもしない。だから、最初にまず何か入りたいクラブがあるのかどうかを尋ねる。応援団に入りたくないあまりか、大抵の学生は何か考えてくるので、ここで大半の学生は○○部に入りたいと答える。そのような学生は、必ずそのクラブに入るように言い含めて帰す。
そう、この時点で残った数人の学生は応援団入団決定である。色々と世間話などを混ぜて会話しつつ、応援団について聞かせ、判断を相手に委ねるようにみせかけながらもここで拒否することはほとんど不可能である。そうやって例年三人から四人ほど入団させる。昔は十人とか入団させていたらしいが、その辺は時代の流れであろう。だが、一年後に残っているのは二人ほどである。やはり無理に入団せさても長続きしないものなのだ。
もう一つ違う勧誘方法がある。
これは、「クラブに入っていない者は残れ」と言ったときに残らなかった者が対象となる。各クラブから名簿を借りて、それを確かめれば面倒ではあるがクラブに入っていない者がわかる。だが、この名簿作戦は使えない。我々はまったく人気がなく、各クラブは我々に対してあまり協力的ではないからだ。一番メインで応援をしている野球部ですら我々に対する評価は低い。味方をしてくれるのは野球部の顧問の先生ぐらいで、先生方の間ですら応援団は邪魔者扱いされる。我々は化石のようなもので、しかもその化石に価値を認める人はほとんどいないのである。
ではどうやってクラブに入っていない者を探すのかと言うと、講義終了後、校門の前に立って捕まえるのである。非常に原始的ではあるが、これは意外と使える方法であった。なるべく門の陰になるように立ち、気がつかずに通りぬけようとした新入生らしき学生を捕まえて、「クラブはどうした?」とやるのである。ここで少しでももたついた学生は問答無用で団室に行くように指示する。何か言い訳があるなら団室でしろと言うのである。団室に呼んだ後の対応は先ほどと同じである。これはかなり恐怖であったらしく、正門をさけて裏門に向かう(※5)学生が多かったのだが、当然そちらにも団員は立っている。我々も必死であるから、その辺は抜かりがないのだ。
この方法でも何人か入団させることが出来るのであるが、残念ながら私が三年ぐらいのときにはやらなくなってしまった。何故かというと、学校が完全週休二日制になってしまい、上級生の平日の講義数が増えたためである。つまり、上級生の講義が終わった後では、講義の少ない新入生(で、クラブに入っていない者)は帰ってしまっているのである。最後の講義をサボって捕まえたりもしてみたが、全員がサボれるわけもなく、説得役が足りなかったりしたために結局この方法は使われなくなってしまった。
放課後になるとカランコロンとゲタの音が聞こえるのは新入生たちにとっては恐怖であったらしく、私が四年か五年になった頃に、同級生から当時どうやって応援団を避けたかという話を聞いた。今となっては、春の日差しの中で、カランコロンとゲタの音を響かせて闊歩し、新入生を恐怖させる応援団の姿が見られないのは非常に残念である。
団室に呼び出した新入生を相手にする役というのは大抵決まっていた。ヘタな人間にこれをやらせると一人も入らないという結果にもなりかねない。私の二つ上の先輩がペラペラと良く喋る人で、この人がいる間はずっとこの人に任せっきりであった。そして、私が四年になって団長となった(※6)時、誰もやる人間がいなかったので私がやることになった。私は応援団が人気がないのは応援団が怖いと思われている所為だと考え、フレンドリーな応援団(※7)を目指そうとした。だが、それがまずかったのだろう。そのあたりから電波応援団は止めようのない破滅へと向かって突き進んで行ったのである。応援団が廃れるのは止めようのないことかもしれないが、それを加速させたのは私だったのかもしれない……