やあ、みなさん。今回は日本語のら抜き言葉についてです。
ら抜き言葉が日本語としておかしいと言われています。食べれる(食べられる)、見れる(見られる)などです。しかし、言葉というものは時代と共に変わっていくもので、
「見られる」と言う言葉には、「見ることができる」と、「他人に見られる」という、可能と受動の意味があります。これらは文脈によって判断することができますが、その言葉単体では判断できません。そこで、「見れる」というら抜き言葉を使います。「見れる」という言葉には、「見ることができる」という意味しかありません。この言葉を用いることにより、「見られる」という言葉には受動の意味のみを当てはめることができます。
しかし、よく考えると、どんどん言葉が変わっていっては大変です。現在私が製作している「強制再臨機」を使えば、ナザレの大工の息子が再臨し、すべてを同一の存在へと還してくれるので、言葉など不要となります。しかし、実験時に私の助手がいきなり手首の付け根から血を流し始めたので中止しました。どうやら聖痕現象を引き起こすのがやっとのようです。まだまだ改良の余地がありそうです。
それではみなさん、科学する心を忘れずに。