仏教とは“仏陀の教え”のことである。仏陀とはお釈迦さまのことであり、“
大乗経典の柱となるのは「般若経」「
なかでも般若経には、「
一般に「般若心経」と呼ばれるが、正しい経題は「摩訶般若波羅蜜多心経」である。略して「心経」と呼ばれることもある。
「摩訶般若波羅蜜多心経」とは、偉大なる真実に目覚める智慧の教えという意味である。ここで言う智慧(無分別知)というのは、我々が日常的に使う知恵(分別知)とは違い、真理の
では真理とは何かというと、それは“ありのままの姿”であり、それを“ありのままに見る”ことが智慧である。仏教では真理の教えを法という。仏教の根本教理に「三法印」というものがある。これは、
金品や地位、名誉、生命など我々がこの世で最も大切だと思っているものは、常に生滅を繰り返しており、一時たりとも留まっていることはない。全ては無常で実体のないものであることに気づき、「心の安らぎ」という、失うことのない永遠の幸せに最高の価値観を見出すことが、仏の智慧に目覚めることである。これが「心経」であり、つまりは仏教の要の教えなのである。
通常、仏前で勧行をする場合、いきなり本論である「般若心経」を唱えることはしない。
まず、仏教を信じる者としての三つの条件を明示する「
ただ、これはあくまでも一般的な例であって、宗派によってこれ以外の経文が加わったり省略されたりする場合がある。また、日蓮宗や浄土真宗などのように般若心経を用いていない宗派も存在するが、在家信者の場合はあまりこだわらずに比較的自由に般若心経を唱えている場合が多いので気にする必要はないだろう。
自ら仏に
当に願わくば
無常心を発せん事を。
自ら法に帰依し奉る。
当に願わくば衆生
深く
自ら僧に帰依し奉る。
当に願わくば衆生
大衆を
一切
無上
願わくは
願わくは
我等と衆生と、
皆共に仏道を
摩訶般若波羅蜜。
音読みによる唱え方が一般化しているため、お経は音読みで唱えるものだと思われている感があるが、特に音読みにこだわる必要はない。音読みは確かに響きが美しいが、その反面非常に意味がわかりにくい。かと言って、現代語に訳されたお経を読むというのはやはり荘重さにかける。
ある程度の響きの美しさがあり、かつ内容も理解できるというお経の唱え方に“訓読”がある。お経の内容を深く理解するためには、お経が理解出来ない呪文のようなものではなく、誰にでもわかるように唱えられることが望ましい。誰にでもわかる心経の唱え方こそ、“訓読心経”なのである。
我々が目にしたり耳にしたりするお経は中国語、もしくは日本語に直された物である。そこで、世界中で誰もが唱えられる心経として“汎用心経”がある。これは、原語で唱える「般若心経」をローマ字で音字したものであり、世界中の誰が唱えても仏と同体になれるありがたい心経である。もし外国人に心経を勧める機会があったなら、この汎用心経を勧めるとよいだろう。
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aryavalokitesvaro bodhisattvo gambhirayam prajnaparamitayam caryam caramano vyavalokayati sma:panca skandhas, tams ca svabhava-sunyan pasyati sma. | アーリャーバロキテシュバラ ボゥディサットバ ガンブヒラヤーム プラジュニヤーパーラミターヤーム チャリャーム チャラマーノ ビヤバロカヤティ スマ パンチャ スカンダース タームシュチャスババーバーシューニャン パシュヤティ スマ。 |
iha Sariputra rupam sunyata sunyataiva rupam. rupan na prthak sunyata, sunyataya na prthag rupam. yad rupam sa sunyata, ya sunyata tad rupam. evam eva vedana-samjna-samskara-vijnanani. | イーハ シャーリプットラ ルーパム シューニヤター シューニヤタイバ ルーパム。ルーパン ナ プリタク シューニヤター、シューニヤターヤー ナ プリターグ ルーパム。ヤード ルーパム サー シューニヤター、ヤー シューニヤター タド ルーパム。エーバム エーバ ベダナー サムジュニヤー サムスカーラ ヴィジュニヤーナーニ。 |
iha Sariputra sarva-dharmah sunyata-laksana anutpanna aniruddha amalavimala nona na paripurnah. tasmac Chariputra sunyatayam na rupam na vedana na samjna na samskara na vijnanam. na caksuh-srotra-ghranajihva-kaya-manamsi, na rupasabda-gandha-rasa-sprastavya-dharmah, na caksur-dhatur yavan na mano-vijnanadhatuh. | イーハ シャーリプットラ サルバ ダルマーハ シューニヤターアラクサナー アヌットパンナー アニルッダー アマラーヴィマラー ノウナ ナ パリプールナーハ。ダスマーツ チャーリプットラ シューニヤターヤム ナ ルーパム ナ ベダナー ナ サムジュニヤ ナ サムスカーラー ナ ビジュニヤーナン。ナ チャクシュク シュトロラ グラーナジフバーカーヤ マナーンスィ、ナ ルーパーシャブダ ガンダ ラサ スプラシュタビヤ ダルマーハ、ナ チャクシュルダートゥル ヤーバーン ナ マノー ビジュニヤーナダートゥハ。 |
na vidya navidya na vidyaksayo navidyaksayo yavan na jaramaranam na jaramaranaksayo na duhkh-samudaya-nirodha-marga, na jnanam na praptih. | ナ ヴィディヤー ナーヴィディヤー ナ ヴィディヤークサヨー ナーヴィディヤークサヨー ヤーバン ナ ジャラーマラナム ナ ジャラーマラナクサヨー ナ ドゥクハ サムダヤ ニローダ マールゴー、ナ ジュニヤーナム ナ プラープティハ。 |
tasmad apraptitvad bodhisattvanam prajnaparamitam asritya viharaty a-cittavaranah. cittavarana-nastitvad atrasto viparyasatikranto nisthanirvanah. tryadhvavyavasthitah sarva-buddhah prajnaparamitam asrityanuttaram samyaksambodhim abhisambuddhah. | タスマード アプラープティトバード ボーディヒサットバーナーム プラジャニヤーパーラミターム アーシュリトヤー ビハラテイヤ ア チッターヴァラナハ。チッターヴァラナ ナースティトバーダ アトラストオ ビパルヤーサーティクラーントオ ニシュタニルバーナハ。トリヤドバァヴィヤバスティターハ サルバブッダーハ プラジュニヤーパーラミターム アシュリトヤースッタラーム サミヤクサムボーデヒム アビサムブッダーハ。 |
tasmaj jnatavyam prajnaparamita-mahamantro mahavidyamantro'nuttaramantro'samasama-mantrah, sarvaduhkhaprasamanah. satyam amithyatvat prajnaparamitayam ukto mantrah, tad yatha: | タスマージ ジュニヤータビヤム プラジュニヤーパーラミター マハーマントロオ マハービディヤーマントロオ ヌッタラマントロオ サマサマ マントラ、サルバドゥクハプラシュマナハ。サトヤム アミチャトバーツ プラジュニヤーパーラミターヤーム ウクト マントラハ、タディ ヤター |
gate gate paragate para-samgate bodhi svaha. iti Prajnaparamita-hrdayam samaptam. |
ガティ ガティ パーラガティ パーラ サムガティ ボゥディ スバーハー。 イーティ プラジャニヤーパーラミター フリダヤム サマープタン。 |