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小説 - [月の竜]

 荒い息遣い。幾度となく剣が噛み合い、鈍い音を響かせる。周りを囲む死体達が緊張した面持ちで、剣を振るう二人を見詰めている。
 ガッ!
 一際大きい音がして、一本の剣が吹き飛んだ。残った剣はそのまま相手に突きつけられた状態で止まった。僅かに乱れた呼吸と共に、突きつけられた剣も僅かに上下する。
「……参った」
 降参の声とともに剣は降ろされ、周りから歓喜の声が上がった。真っ黒な服を着た少年は、木製の剣を上げてそれに答えた。
「ちぇっ、また負けだよ」
「ははは、いい勝負だったじゃないか」
 吹き飛ばされた剣を拾いながらぼやく少年に、黒服の少年は軽く笑って声をかけた。少年は拾った剣に付いた土を払って、ため息を吐いた。
「もうおまえにかなう奴なんていないよ」
「大人にだって負けないんじゃないか?」
「怪物にだって負けないさ」
 十人ほどの少年達が好き勝手なことを言い始めた。黒服の少年は、そんなことはないさ、と躱しながらも、悪い気分ではなかった。自分の剣の腕には自信があった。実際に戦ったことはないが、コボルドやゴブリンなどに負ける気はしなかった。
「どうする? 組替えしてもう一戦やるか?」
「いや、僕はもう帰るよ。あまり遅くなるとお母さんに怒られるから」
「そうか。じゃ、俺達はもう一戦してくよ」
 黒服の少年は荷物をまとめ、皆に別れを告げた。それに答えて少年達は手を振り、次の組み合わせはどうするか話し合い始めた。

 夕日に赤く染まった空を大鴉の群れが飛んでいく。大鴉の鳴き声が帰宅の合図だ。少年は一心に剣を振っていた。自分で木を削って作ったこの剣も、もう大分痛んでいる。そろそろ新しい剣を作らないといけない。そんなことを考えながら剣を振り続ける。少年の剣は、規則正しく同じ軌跡を辿る。大鴉の鳴き声と風が草を揺らす音、そして少年の剣が空を切り裂く音。やがて、大鴉の声が消え、風の音のみが残った。
「ふぅ」
 少年は剣を振るのを止め、汗を拭った。草原を渡る風が火照った体に心地よい。少年は何気なく守り神の社に目を向けた。この村の守り神を祭っていると聞いたが、非常に小さく、みすぼらしい社だ。しばらく誰も訪れたことがないのだろうと思う。また、それだからこそ少年は剣を振るのにこの場所を選んだ。ふと、赤い花が生けてあるのに気がついた。こんな社に花を生ける人間がいるとは意外だった。今度から場所を替えようかな。そんなことを考え、少年は手拭いを背負い袋に押し込むと、その場を後にした。
 村外れからしばらく歩くと、村の大通りに出た。大通りと言っても、旅人から聞いた大都市の大通りとは全然違う。小さな店がいくつかあるだけだし、それもこの時間にはもう閉まっている。
「坊や」
 少年が声に振り向くと、そこには占い師の老婆が立っていた。
「今日も剣の稽古かい?」
「え!?」
 剣の稽古をしていることは誰にも話したことはない。どうしてこの老婆は稽古のことを知っているのだろうか。
「いえ、その、みんなと遊んできた帰りですけど……」
「いいんだよ、隠さなくたって。魔導士に知らないことはないんだよ」
 本当の魔導士ならばそうなのかもしれない。この辺境の村をごくたまに訪れる旅人から聞いた話では、魔導士というのはとてつもない力を持っており、世の中のすべてを見通すことが出来るのだという。しかし、この老婆は……
「お婆さんは占い師でしょう?」
 少年は無駄だと思いながらもそう聞いた。
「占い師ってのは仮の姿さ」
 そう言って笑う老婆に、少年は心の中でため息をついた。この老婆はいつも自分が魔導士なのだと言って譲らない。老婆が魔法を使うのを見たことはないし、魔法を使ってみせてくれと言っても、魔法の力は見世物ではないと言って躱す。信じろという方が無理な相談だ。占い師としての腕も怪しいものだと思っていたが、稽古の事を占いで知ったのだとすると、一応占い師としての能力はあるのだろうか。
「あの……」
 何故老婆が稽古の事を知っていたのかを尋ねようとしたとき、少年の目をじっと見詰めていた老婆がにいっと笑った。
「どうだい、坊やの未来を占ってやろうか?」
「いえ、いいです」
 少年は首を横に振った。老婆の占いを確かめたくはあったが、少年は占いが嫌いだった。自分の未来を人に聞かされるなんて、気持ちのいいものではない。
「そうかい。残念だねぇ」
 薄気味の悪い老婆の笑い声と、日没を知らせる鐘が重なった。もう間もなく日が落ちる。もう帰らないといけないと別れを告げ、少年は老婆と別れた。大通りを背に真っ直ぐに早足で歩き、曲がり角に来たところでふと振り向くと、少し小さくなった老婆の姿が見えた。立ち止まった老婆が、なんだかこちらを見ているように思えたので、少年は軽く頭を下げた。老婆は手を振り、ゆっくりと通りの向こうに消えていった。

「もう、心配するじゃない。なるべく早く帰って来てって言ってるでしょ」
「う、うん、ごめんなさい」
 家に帰るなり母親に小言を言われる。いつもの事だ。
「ちょっと、まだそんな剣を振りまわして遊んでるの? 止めなさいって言ったでしょう!?」
 少年はうなだれて、片手に持った剣をぐっと握り締めた。
「まあ、いいじゃないか、母さん。子供は元気に遊ばないとな」
 スープを啜っていた父親が珍しく声を挟んだ。少年は少し驚いた。別に無口ではないのだが、子供のことにはあまり口を出さない父親だったからだ。
「私はね、この子には学者になって欲しいのよ!」
「ただの遊びだろう? そんなに目くじらを立てることないだろ」
 母親はじっと父親を睨んでいたが、何も言わずに自分の部屋に引っ込んでしまった。父親は大きな音を立てて閉まった扉を見ていたが、やれやれと軽く頭を振って立ち上がった。火は消えてもまだ湯気の立っている大鍋から木皿にスープを分け、テーブルに置く。父親が再び座っても少年はまだ立ち尽くしたままだった。
「お腹空いてるんだろ? 早く食べなさい」
「う、うん」
 少年は荷物を床に置き、テーブルについた。少々塩気の足りないスープを口に入れると、その温かさが全身に伝わる気がした。チラっとスープ皿から目を上げると、父親はパンを裂いて口に入れていた。あまり普段と変わった様子がない。こういう風に落ち着いていられるということが大人になるということなんだろうか。
「あの、お父さん……」
「ん?」
「その……ありがとう……」
 父親はパンを飲み込んでから少年の方を見た。
「いや、いいさ。その代わり、勉強もちゃんとしてくれよ。母さんに怒られるからな。明日は塾がある日だろ?」
「うん」
 そのとき、扉を叩く音がした。
「誰だろうな、こんな時間に」
 独り言のように呟くと、父親は入口に近寄って「誰だ?」と尋ねた。少年には聞こえなかったが、返答があったのだろう。父親が扉を開けると、村長の息子が立っていた。彼は他の若者十数名と自警団のようなものを組織している。村長の息子は少し慌て気味に話し、父親が頷くと頭を下げて帰って行った。
「コボルドを見かけたんだそうだ」
 テーブルに戻るなり、父親はそう言った。
「占い師の婆さんがな、社の近くで見かけたらしい」
 少年は一瞬ドキっとした。悪いことをしているつもりはないが、親に黙って何かをしているのが引っ掛かっているのだろうか。社という言葉が出るだけで驚いてしまう。父親はそんな少年の様子に気付いた様子もなく、話を続けた。
「あの辺は洞窟が多いから、まだ潜んでいるかもしれん。コボルドなんて大して強い怪物じゃないけどな、奴等は大勢で行動するんだよ。だからしばらく注意しろってさ」
「しばらくって、自警団の人達が退治してくれるまで?」
 自警団と言っても、実戦経験のある者などいないのではないだろうか。
「いや、奴等がこの村を襲うかどうかわからんし、しばらく様子を見るんだそうだ」
「そんな! 襲われてからじゃ遅いじゃない」
「ヘタに刺激しない方がいいんだよ。そのうちどっかに行っちまうさ」
 そんなにのんびりしていて、誰かが襲われたらどうするというのだろう。少年は呑気な父親に腹が立った。
「それからな、しばらく戦争ごっこは止めた方がいいな。奴等は臆病だから一人にならなければ大丈夫だとは思うが、一応な」
 少年は答えずに黙々と食事を済ませた。
「ごちそうさま」
 それだけ言うと、少年は自室に向かった。後には、不安そうな顔をした父親だけが残された。

 朝、週に二度の塾に向かう振りをして村外れに向かった。この村で唯一の学者である先生の講義を受けれないのは残念だが、少年はどうしてもやらなければならないことがあった。それは、コボルドを倒すこと。自分の力を示せば、母親も少年が剣の道に進むのを許してくれるかもしれない。しかし、何よりも、少年は自分自身の力を試してみたかった。コボルドがどこに現れるのか正確にはわからないが、少年は社の前まで来ていた。この辺りの洞窟を調べてみようと思って、ランタンも準備してきたのだ。
 初めはビクついていた少年も、幾つ目かの洞窟を調べるときにはある程度落ち着いていた。ランタンをかざし、手にした木の剣でその辺を叩く。音に驚いて出てくるのではないかと考えての行動だ。しかし、何の反応もない。またハズレか。少年は洞窟を出ると、草むらにごろんと横になった。今まで調べたのは比較的浅い洞窟で、あと残っているのは、奥深い洞窟だけだ。奴等と出会ったときに、外に出る前に追いつかれると困る。奴等は闇の中でも物を見ることが出来るのだから。どうしようか。勇んで来たのはいいが、やはり一人では心もとない気がするし、もうこの辺りにはいないのかもしれない。少年はぼんやりと流れる雲を見ながら考えていた。落ち着いていたつもりでも、やはり緊張していたのか、やけに疲れた感じがする。少年が瞼を閉じると、その意識はゆっくりと闇に沈んでいった。
 得体の知れない怪物と闘っている。少年は漆黒の鎧に身を包み、意匠を凝らした剣を手にしていた。怪物は何度も強烈な攻撃を繰り出してくるが、少年はそれを躱し、受け流しては切り付け、怪物に傷を負わせてゆく。そうだ、僕は黒騎士なんだ、こんな怪物に負けるはずがない! 少年は黒騎士になっていた。憧れの黒騎士に。そう、自分はまだ子供だが、自分だって、いつかきっと……。
 瞼に当たっていた日の光が遮断されたためか、それともその不快な唸り声に反応したのか、少年は咄嗟に横に転がった。少年の元いた位置に短剣が突き刺さる。少年は剣を構えると短剣の主と対峙した。人間の身体に、豚を掛合わせたような犬の頭。間違いない、コボルドだ。錆びてボロボロになった短剣を構え、唸り声を発している。大丈夫、負けはしない。少年は全身に振るえがきそうなのを堪え、剣を強く握り締めた。
「うおぉぉぉおおお!」
 自分を奮い立たせる様に雄叫びをあげ、少年は上段からコボルドに打ちかかった。頭を狙ったのだが、剣は相手の肩口を打ち付けた。悲鳴のような声を上げ、コボルドは短剣を無茶苦茶に振り回した。いける、いけるぞ。少年はコボルドの隙をういて、激しく打つ心臓に急き立てられるように更に打ち込んでいった。
 ボギッ!
 それは、コボルドの骨が折れる音だったのか、少年の木の剣が折れる音だったのか。コボルドが倒れるのと同時に、折れた剣先は地面に突き刺さった。少年は手元に残った短い木の棒を呆然と見ていたが、背中に痛みを感じで地面にうつ伏せに倒れ込んだ。慌てて立ち上がろうとしたが、今度は足に痛みが走った。痛みを堪えて仰向けになると、そこには小剣を手にしたコボルドが立っていた。そのコボルドの後ろには何匹ものコボルドが剣を持って立っている。喉の奥から低い唸り声を上げ、少年の目の前にいるコボルドは剣を振り上げた。
 だめだ、殺られる!!
 少年はぎゅっと目を瞑ったが、いつまで待っても剣は降ってこなかった。少年が目を開けると、辺りは薄闇の世界だった。コボルド達は何が起こったのかわからず、きょろきょろと辺りを見渡している。少年もわけがわからなかった。さっきまではあんなに明るかったのに……。空を見上げると、太陽は異様な姿に変わっていた。黒い円の周りを真珠色の美しい光が覆っている。なんだ、一体何が起こったんだ? 視線を下げると、地平の向こうは何とも奇妙な色に染まっている。もしかして、すでに自分は死んでいるのだろうか? いつの間にか、死の世界に来てしまったのだろうか?
 ドンッ!!
 赤いものが少年の目の前で弾けた。少年に剣を振り下ろそうとしていたコボルドは炎に包まれて吹っ飛んだ。二度、三度と続けて炎が弾け、少年の周りのコボルド達は炎に包まれた。少年は何が起こったのかまったく把握できず、呆然としていた。
「はっ!!」
 炎を逃れたコボルド達に切り込んでいった者がいる。少年の父親だ。戸惑いながらも何とか応戦しようとするコボルド達をものともせずに一匹、また一匹と切り倒していく。その剣の腕はかなりのものに思えた。
「大丈夫かい?」
 占い師の老婆の声。
「いったい……?」
「坊やが塾に来なかったって坊やの友達から聞いてね。もしかしたらってんでここに来てみたってわけさ」
「どうしてお婆さんが?」
「アタシは正義の味方だからさ」
 全く答えになっていない。少年はそう抗議しようと思ったが、背中に激痛が走り、うめき声を漏らした。老婆が何か言っているがよく聞き取れない。少年はそのまま気を失った。

 父親と老婆は社のある場所から、村へと向かう草原を歩いていた。
「まったく、こんな木の剣で無茶をしたもんだ」
「アンタが素直に剣を教えてやればよかったんだよ。ちゃんとした剣を与えてさ」
「言っただろう? 自分で剣の道に進みたいと言い出さない限りは教えないって約束したんだよ」
「まったく、すっかりフヌケちまって。傭兵隊長まで務めたってのにね」
「うるさい」
 父親の暖かい背中に揺れらながら、少年は夢と現実の狭間で二人の会話を聞いていた。
「……お父さん?」
「ん? 気がついたか」
「うん」
「傷はどうだい?」
 老婆の声に、少年は足と背中に傷を受けたことを思い出したが、不思議と痛みはなかった。少年がそう告げると、老婆は父親に向かって嬉しそうに笑った。
「言ったろう? アタシの魔法にまかしとけって」
「エセ魔導士を信じられるか」
「なにをお言いかね」
 悪態を吐く父親に、老婆が言い返す。それが可笑しくて少年は一人笑った。気分に余裕が出てくると、少年は急に父親に背負われているのが恥ずかしくなってきた。
「お父さん、歩けるから降ろしてよ」
「いいから背負わせてくれ。おまえがもう少し大きくなったら、もう背負えないんだからな」
「う、うん……」
 老婆が笑う。父親は今度は何も言わなかった。ガラにもないことを言って照れているのだろうか。
「あの、お婆さん」
 少年は先程の不思議な現象を思いだした。
「さっき暗くなったのは何ですか?」
「あれはな、月の竜と言ってこの村の守り神でな。アタシが魔法で呼び出したんだよ」
「月の竜?」
 父親が何か言い返す前に、少年は老婆に尋ねた。
「そうさ。さっきの黒い月が月の竜さ。役目を終えて行っちまったけどね」
 そういえば、いつの間にか辺りは明るくなっている。
「月の竜……」
「アタリアって言うのさ」
「え?」
「月の竜の名前だよ」
 老婆がにぃと笑ってそう言った。アタリア。不思議な名前だ。
「婆さん、あまりウチの子供をからかわんでくれ。あれはただの自然現象だろう?」
「何をいうか! この偉大な魔導士の言うことが信じられんというのか!!」
「導士の資格なんて持ってないだろう。三流魔法使いのくせに」
「僕はお婆さんを信じるよ」
 そうだ、この老婆は本当に魔法が使えたのだ。さっきコボルドを吹き飛ばした炎は、話に聞く火球の魔法というやつなのだろう。
「いい子だね。よし、今度魔法を教えてやるよ」
 魔法か。魔法が使えたら一体どんなことが出来るのだろう。
「強くなりたいか?」
「え? う、うん」
 唐突な父親の問いに、少年は頷いた。
「強くなりたいのなら、魔法の事を学ぶのは大事なことだ」
「うん、でも僕は…」
 魔法にも興味はある。しかし、本当に学びたいのは剣の扱いだ。
「剣は俺が教えてやる」
「え? 本当に?」
「ああ、母さんには俺から言っておく。ただし、二度とこんな無茶はしないこと。母さんが心配するからな」
「はい」
「母さんが、ねぇ。さっきのアンタの慌て振りを坊やに見せてやりたいよ」
「余計な事を言うな!」
 老婆が笑い、父親が言い返す。そんなやり取りを聞きながら、少年は空を仰いだ。空にはすでに月の竜の姿はなく、太陽が眩しく地上を照らしている。老婆の魔法によるものなのか。それとも父親の言うように自然現象だったのか。いずれにせよ、世の中には少年の知らないことがたくさんあるのだ。それを知るためにも旅に出たい。今はまだ子供だから、旅には出れない。だから今は強くなろう。旅に出るときのために強くなろう。
 草原から吹いて来た風が三人を包み込む。少年には、まるで自分の未来へと吹き抜ける風のように感じられた。


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