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雑記


専攻科終了式

 1999年3月18日、私が本科五年間と専攻科二年間の合わせて七年間通った高専を卒業する日がやってきた。この日は本来高専本科の卒業式であり、我々専攻科はオマケの様に終了式を行ってもらったわけだ。式自体は二年前に本科の卒業式を経験しているため、まったく同じ事を繰り返すのに正直うんざりした。一番辛かったのは卒業生代表の答辞である。長々と細かいことをダラダラと述べるその答辞は二年前に聞いたものとさほど変わりがないように思えた。まさか毎年使いまわしているわけでもあるまいに、少しは独創的な事を言ったらどうなんだ。ま、先生方のチェックが入ってどっちみち直されてしまうのだろうけれども。

 ま、そんなことはどうでもいいんだ。

 式の始まる直前、前校長だの何だの、偉そうな面々が来賓としてやってきた。そんな中、一人妙に見知った顔が。あれは馬鹿Sだ!! 高専卒業後に地元で就職した元同級生のSがお偉いさんに混じって来賓席に座っているではないか!! 天然系の馬鹿っぷりを五年間散々我々に見せ付けてきたあの馬鹿Sが卒業後もやらかしてくれたのか? しかし、彼という異分子は周りに何の疑問も抱かれずに当然の様な顔をしてそこに座っている。前の席に座っている友人に聞くと、
「ああ、奴はバド部のコーチをやってるから、来賓として招かれたらしいよ。ちゃんと学校から招待状も来たんだってさ」
との事。ぬぅん、そういう事であったか。しっかしあの馬鹿が来賓として招かれるとは驚きだ。

 立ったり座ったり頭を下げたり何か受け取ったりしているうちに式は終わり、高専同窓会主催の祝賀会が始まった。その会場に向かおうとしていた俺に声をかける者が。振り替えると、応援団の一年生が花束を持って駆け寄ってくるではないか。
「卒業おめでとうございます!」
 おお、花束なんて貰うのは生まれて始めてだぜ。くぅっ、粋なことしやがるぜコイツはよぉ。そんなに俺を慕ってくれていたのか。俺が礼を言って受け取ると、
「あははは〜、委員会の方の卒業生にあげた花束が余っちゃって
と言って笑った。
「余り!?」
「ええ」
「……うむ、そんなこったろうと思った。ま、余りでも嬉しいよ。とにかくありがとよ」
 礼を言って応援団の後輩と別れて会場入りした俺は、知らぬが仏という諺を思い出していた。

 祝賀会の最中、専攻科生の代表が専攻科主任に花束とプレゼントを渡した。金は払っていたが、プレゼントの中身は知らなかった。
「今開けてもらわないと意味がないんで、今開けて下さい」
 専攻科主任(電子システムと情報システムの主任二人)が包みを破ると、中には「ザク」と「グフ」のプラモデルが。専攻科生大爆笑。もちろん俺も。
「研究の合間にでも作って下さい」
 我々には受けても、先生にはどうだろうか。だが心配することもなく、二人とも笑っていた。冗談を解する人間でよかった。

 七年間通い続けた学び舎を去ることになるわけだが、別に何の感慨も湧かなかった。二年前に就職や他大学に進学する同級生と別れた所為だろうか。二年前の方が余程「ああ、卒業なのだな」と思ったものだ。


東北ニュージーランド村

 われわれ観光愛好会は、比較的近場の観光地を回ることを目的としている。今までに行ったところといえば、定義(じょうげ)如来、青葉城跡、秋保大滝、塩釜神社、そして山寺等である。山形にある山寺以外はすべて県内で、最初の三つに至っては仙台市内でもあり、すべて一、二時間で行ける距離であった。しかし、今回の目的地は、今まででもっとも遠出となる、岩手県の東北ニュージーランド村である。今までは、今日は研究する気にならないな〜、よし、どっか行くか、という感じで適当に出発していたのに対し、今回は出発時間を決めて、丸一日空けておくという、まるでまともな観光旅行のような異様さであった。
 今回のメンバーは以下の四人。愛好会会長の姉御(低身長)副会長のアニキ(仙山線)企画等担当の私、そして今回初参加のドライバー兼道化役の狂介君(仮名)である。
 出発前日、さっさと研究を切り上げて家に帰った私は、学校に忘れ物をしたことに気がついた。地図である。「スーパーナビゲータと呼んでくれ。俺は衛星ナビに勝つ男だぜ」などと言っているそばからこれである。学校でまだ研究をしている狂介君(仮名)に電話で連絡を取り事無きを得たものの、先が思いやられる出来事であった。
 で、当日。出発時間は朝の六時である。朝に弱い狂介君(仮名)はちゃんと起きれたろうかと思っていると、時間通りに彼はやってきた。何てことだ。雨が降ったらどうするというのだ。私達は彼の車に乗り込み、私の家を出発した。向かうはアニキ(仙山線)の家である。しかし、どうも向かう方向が違うような気がする。これでは姉御(低身長)の家に行ってしまうではないか。いや、狂介君(仮名)がそのようなミスをするはずもない。何か抜け道があるに違いない、と思い私は黙っていたのだが、「あれ? 先に行くのアニキ(仙山線)の家だっけ?」との彼のセリフに私は「やれやれだぜ」と思った。何とかコースを修正し、二人を拾っていざ鎌倉。いや、東北ニュージーランド村。
 四号線を北上して岩手県に向かう私達は、途中で奇妙な物を発見した。岩手県に入った直後だったろうか。「やべえ、サツだ!」との狂介君(仮名)の声に緊張する我々今捕まったら計画は振り出しに戻ってしまう。というのは冗談だが、とにかく先を見ると、道路脇にパトカーが浮いている。一瞬目を疑ったが、明らかに他の車よりも高い位置に止まっている。おお、これがスピナーというやつか。いつのまに科学はこんなに進んでいたのだろう。う〜ん、サイバーなり。ところが、そのパトカーの脇を通りぬけたときに私は見てしまった。パトカーは台座の上に乗っていたのだ。しかし何故!? やはりドライバーに注意を喚起するためであろうか。にしてもパトカーを一台案山子にしてしまうとは、恐るべし岩手県!!

 途中、有名な中尊寺の脇を抜ける。しかし、中尊寺などに用はない。我々が目指すは、そこから六キロ程の山の中(というより山の上)にある東北ニュージーランド村である。そこにたどり着いたのは午前の九時半。仙台から正味三時間というところであろうか。やはり少々速すぎたか、他の客の姿はなく、それどころか受付以外の従業員の姿すらもない。やはり平日にこんな所に来る物好きなアホはいないのだろうか。
 とりあえず、無駄に雄大な感じのニュージーランド村で写真を一枚パチリ。というか、山の上じゃねえか。
東北ニュージーランド村

日本庭園

 受付で受け取ったパンフレットを見た我々の目に最初に飛び込んできたもの、それは「日本庭園」の文字であった。何故、何故にニュージーランド村に日本庭園が!? 我々は躊躇することなく、日本庭園に向かった。何が日本なのかは私にはよく分からなかったが、なるほど、見事な庭園だ。ニュージーランド風の庭園でない理由はわからなかったが。 日本庭園

飢えたウサギ

 日本庭園を抜け、動物達のいる場所に向かう。そしてウサギ達を発見。柵に自由に入れと書いてあるので中に侵入する。たちまち寄ってくるウサギ達。かわいいなぁ、というより、飢えてるなコイツラという感じであった。狂介君(仮名)が百円で餌を買い求めて与えると、わらわらと寄ってくること寄ってくること。食い終わるとその辺の草をひっきりなしに食っている。ちゃんと餌やってるのか? などと疑問に思っている間もウサギ達は熱心に草を食っていた。

ゲートウェイの恐怖

 東北ニュージーランド村にはゲートェイの魔の手が伸びていた。普通のウサギ達に紛れてゲートウェイウサギを発見した後、立て続けに馬と犬のゲートウェイを目撃。こんなところにまでゲートウェイの魔の手が伸びているのかと我々は恐怖した。ゲートウェイの魔の手から東北ニュージーランド村を救わねば! と久々の専攻戦隊デンシマンの出番かとも思ったが、メンバーが足りないので断念。すまん、無力な我々を許してくれ。 ゲートウェイうさぎ
ゲートウェイ馬ゲートウェイ犬

山羊の営業部長

 山羊と羊とふれあい、その柵から出ようとすると、一匹の山羊に扉を塞がれた。この山羊は営業部長なのであろうか。狂介君(仮名)が出た後のことで、残りの三人は閉じ込められてしまった。扉はもう一つあるのだが、その扉から出ようとすると、デカイ羊が突進してくるのだ。やはり羊も外に出たいのであろうか。困っていると、アニキ(仙山線)がさっさと柵を乗り越えて外にでた。なんて卑怯な
「よし、俺がコイツを引き付けておくから外に出るんだ」
と姉御(低身長)に言うと、私はデカイ羊を押えにかかった。その甲斐あって姉御(低身長)は脱出に成功。しかし、そこで一つの問題が発生した。一人残された私はどうやって脱出すればよいのだろう。餌を与えてその間に脱出しろというのだろうか。しかし、餌の自動販売機は柵の外にあるのだ。この営業には欠陥があるぞ、と営業部長に言っても通じるはずもなく、扉の前から動こうとしない営業部長を前に、私は呆然としていた。ま、なんとかデカイ羊のスキをついて脱出したのだが。
営業部長

 後にここを通りかかった我々は、あの突進してきた羊が柵の外に出ているのを目撃した。苦労して外に出さないようにしていた我々の苦労を嘲笑うかのように。恐らく、増えてきた客(家族連れの団体、女子中学生、そして男子高校生が来ていた。中学と高校は授業の一環としてやって来たのであろう)の誰かが逃がしてしまったのだろう。我々の苦労を無駄にしたことも知らずに。ふぅ、やれやれだぜ。

ゴーカートレース

 何故にニュージーランド村にゴーカートがあるのか。この謎を解明するために狂介君(仮名)とアニキ(仙山線)はゴーカートに乗り込んだ。激しいバトルを繰り広げる二人。そして、アホかこいつらと見ている女子中学生。狭いコースを一周するだけで三百円。観光客に金を落とさせるためだけに存在するゴーカートで熱いバトルを繰り広げる男達の姿は、さぞかしマヌケに映ったことだろう。とりあえず、俺達は風になるぜとか何とか。 ゴーカートレース

モジモジ君

 こども広場と名付けられた場所には、ゲームコーナーやちょっとした公園があった。その公園には、幅1.5メートル、高さ2.5メートル程の板に棒状の突起がいくつもつけられたものがあった。
モジモジく〜ん!!
と思わず叫んだ私は、早速狂介君(仮名)と姉御(低身長)に人文字を書かせることにした。本当は東北ということで「」にしたかったのだが、幅が狭いために、適当に思いついた「」にした。「イヒ」ではないので注意。
 この写真を撮っているときに、後ろで男子高校生が笑っていたが、まあよかろう。彼らに観光地の楽しみ方を教えてやったと思う事にする。我々はどんなにつまらない観光地でも楽しむ自信があるのだ。……というのは冗談だが。
モジモジ君

偽金色堂

 東北ニュージーランド村の帰りに、中尊寺に寄った。あくまでも中尊寺はおまけである。昼も過ぎていたし、飯でも食おうかと店によると、当然のように高い。特に山の中にあるわけでもなし、何故こんなに高いのか。そばに千円も払えるかドアホ。で、結局我々はコンビニに行った。観光地に行ってコンビニ弁当を食うというのも、なかなかに寂しいものであった。
 飯の後、金色堂を目指して参道を登る。しばらく歩くと、金色堂の拝観料が八百円もすることが判明。冗談ではない。我々は悩みもせずに金色堂を諦めて、弁慶何とかなど、タダで見れるものを見てから下まで戻って来た。きわめて嫌な観光客だ。それにしてもジジババが多い。我々の様な団体でもない若い観光客はこんな寺なんぞ見にこないのだろうか。私は個人的に寺などを見るのが好きなのだが。

 参道の入口付近に小さい金色堂があった。看板を見ると菊祭りと書いてある。よし、この偽金色堂の写真でも撮っておくか。我々観光愛好会には相応しかろうて。ホントに嫌な観光客だな、俺達。 偽金色堂


アヒルメット

 私は原付バイク(スクーター)に乗る際、アヒルを模した半キャップを被っている。前面に大きく目が描いてあり、つばの部分は黄色く、くちばしを模している。それを学ランを着たゴツイ男が被っているのであるから、なかなかに笑える代物である。
 ところがある日、いつもの様にバイクのシート(座席下の収納スペース)を開けようとすると、シートごと持ち上がるではないか。ちょうつがいの部分が壊されている。ふむ、勝手にこのように壊れるとは奇異なこともあるものだと、中に手をやると、本来手に当たるはずのアヒルメットの感触がない。そこで初めて私は、シートを壊され、アヒルメットを盗られたのだと気付いた。しかし、バイクを盗らずにメットだけを盗っていくとはこれ如何に。仕方がないので後日新しいメットを買い求め、それで事件は終わったかに見えた。
アヒルメット

 数週間後、私は友人Rと共に友人Nの家に向かっていた。私はバイクであったが、友人Rは徒歩であったので、バイクを引いて歩きながらの道行きであった。ある坂に差し掛かった時、この坂をバイクを引いて登るのはキツイと思い、私は先に行っていると申し出た。しかし、二人乗りをすればよいのだと気付いた私は、友人Rにそう言った。友人Rは、そういうこと(本来違反である二人乗りを行うこと)はあまり好きではなかったが、私の「この道を何度も通っているが、警察に出くわしたことは一度もないし、この坂を登るだけだから大丈夫」との言葉に、結局二人乗りをすることになった。
 結構急な坂である。私達は少し前のめりになりながら坂を登り始めた。もう少しで頂上だ、と言うとき、「前のバイク、止まりなさい」との声が。振り返ると、遥か後方に二台のパトカーの姿が。一台目のパトカーはそのまま走り去ったが、二台目のパトカーが私達を止めた。なんと運が悪いのだろう、と思っていると、警官の言葉が更に私を打ちのめした。
「いやぁ、今ひき逃げ犯を追っていたんだけれどもね
 おいおい、こっちを放っておいて、そっちを優先しろよ!! とにかく、私はそのひき逃げ犯のおかげで捕まってしまったわけだ。免許証をチェックし、「じゃ、今急いでるから、明日派出所に来てね」と言い残し、警官は去った。

 そして次の日、私は派出所に行った。世間話をしながら手続きを終えると、ふと私の目に飛び込んできた物があった。そう、それはアヒルメットであった。驚きながらも私が問うと、乗り捨てられていた盗難バイクと一緒に捨ててあったメットだが、バイクの持ち主の物ではないということで、ここで預かっているのだという。なんという幸運! 早速私は事情を説明し、受け取りの書類を書いてメットを受け取った。ああ、二人乗りで捕まらなければこのメットは返ってはこなかったのだ。私は幸運の星のもとに生まれたのであろうか。しかし、よくよく考えてみると、新しいメットに五千円、罰金に五千円(確かそれぐらい)で、合せて一万円も無駄にしているのだ。幸運どころの話ではない。
 今では交通手段はほとんど車であるが、近場に行くときはバイクを利用する。その時、私の頭には当然のような顔をしてアヒルが乗っているのである。
アヒルメット


ラエリアン・ムーブメント

 ラエリアン・ムーブメントを知っているだろうか? 預言者ラエルの指導のもと、創造主である宇宙人を迎える準備をしようという団体である。
 高専の三年の頃であろうか。ある日、仙台でラエリアン・ムーブメントの講演会のようなものが催されることを知った。しかも参加費は無料である。言うまでもないが、私は怪しげな事が大好きである。これは是非とも行かなければと思った。しかし、私は臆病者である。さすがに一人では行く勇気がない。そこで、当時のクラスメイト、睡魔(仮名)男爵(ロボット)に声をかけると、多少渋ったものの、一緒に行ってくれることになった。彼ら以外に怪しげな事に付き合ってくれそうな知り合いはいなかったので、正直私はほっとした。
 さて当日。会場は会議室のような場所で、四、五十人分の席が用意してあった。当然のようにガラガラで、実際に来ていた人の数は十数人ほどだったろうか。ヲタク丸出しな感じの少年二人人生に疲れた感じの女性酔っ払いが迷いこんだかのような親父(UFOを知っていますか、との質問に、足八本などと、UFOと宇宙人の区別もつかない有り様であった。そのイメージの古さは無視するにしても)等など。他人から見た場合、我々三人はどう見えたのだろうか、少し気になるがまあいい。
 で、その講演内容であるが、もちろんラエルが来たりするわけではなく、ラエルと宇宙人エロヒムとの遭遇に関するビデオを見せられ、その後、日本ラエリアン・ムーブメントのメンバーに、エロヒムによって人間が創られたことの証明を聞かされた。
 ビデオの内容は次のようなものであった。フランス人ジャーナリストであったクロード・ボリロン=ラエル(ラエルというのはエロヒムに付けられた名前)は、ある時UFO(この場合は空飛ぶ円盤)と遭遇した。着陸したUFOから銀色のスーツ(レトロな映画に出てきそうなやつ)を着た宇宙人が現れた。その姿は我々人間とそっくりで、その顔つきは何人でもあり何人でもないような不思議な感じであり、身長はやや低いぐらいであったという。私はそのシーンを描いたイラストを見て驚いた。思いっきり東洋風の顔つきに怪しげなあごひげ、そして低い身長。ラエル、あんた、たまたまUFOから降りて来た中国人に騙されたんじゃないのか? ラエルはその宇宙人と何度か接触し、そのうちに彼らの星に連れて行かれた。驚くなかれ、その星には預言者と呼ばれる人達、モーセ、キリスト、マホメット、ブッタらがお茶していたのである。宇宙人エロヒムは実は我々地球の人類の創造主である。そして人類を導くために、何度か選ばれた地球人(預言者)を通じて人類を導いてきた。その預言者や、他に選ばれた小数の人達は、死後、彼らの星にて復活(神秘的なものではなく、彼らの科学力によって、クローン再生された肉体に生前の記憶が移植されるのだ)され、エロヒムの星で永遠に生きるのだ。エロヒム達は、その科学力によってその存在は永遠なのある。そのエロヒムに最後の預言者として選ばれたのがラエルである。現在の行き詰まった人類を救い、更に高みへと昇華させるために、エロヒムは遂に我々の前に直接現れようとしている。いきなり現れると我々は恐怖し、警戒するであろうから、ラエルを通じてエロヒムの存在を広く世界に知らしめ、地球を訪れるための準備をするのがラエルの役目である。そのために、エロヒムを迎えるための大使館を建てようというのだ
 ビデオが終わると、メンバーによる講演が行われた。その内容はあまり覚えていないのだが、こいつら頭わりぃなぁ、という印象が残っている。例えば、ある人は、エロヒムによって地球人類が創造されたことを証明しようとしていた。まず人類の起源を、偶然発生、神による創造、そしてエロヒムによる創造と三つあげた(もう一つあったような気がするが忘れてしまった)。偶然発生はおかしい、無から有が生み出されたとでも言うのか。神などいない。人は神に祈るが、願いを聞き届けられることはないからだ。よって残るはエロヒムのみである。証明終わり。……ふざけてんのか? 一万歩譲って、彼の意見を認めたとしても、矛盾が残る。エロヒムが我々を創ったのなら、エロヒム=神ではないか。神のような存在が我々を創り出したかどうかが問題なのであって、神が我々を救ってくれる存在であるかどうかが問題なのではないのだ。他の人間も万事この調子である。こうなったら矛盾点をつっこんでやろうかと思っていると、彼らは私の出鼻をくじくようにこう言った。
「ではこれで終わりますが、質問のある方はこの後、個人的に聞いて下さい
 何ぃ!? 全体での質問は受け付けないというのか? これはやはり、別室にてお話を伺いますなどと言って、洗脳するということなのだろうか。質問は後でお願いしますと言っていたのもそのためか!? 恐ろしい。我々はさすがに個人的に質問する気にはならず、早々にその場を後にした。しかし、本当にエロヒムの大使館が建つ日がやってくるのだろうか。恐ろしいことに、後援者の計らいで、土地だけは手に入れてあるのだという。
 私の見たラエリアン・ムーブメントのメンバーはほとんど皆ダメダメな感じであった。少なくとも下っ端は。どうも頭の悪い奴が騙されているとしか思えない。彼らは本当にエロヒムを、引いてはラエルを信じているのだろうか。何にせよ、貴重な体験ではあった。


ふじむら君で行こう

 ある日のこと、私とアニキ(仙山線)、そして姉御(低身長)の三人で青葉山へと向かいました。仙台に住んでいながら政宗像を直に見た事がなかったのです。
 青葉城跡にたどり着いた私達は、何やらつまらなそうな雰囲気にちょいとがっかりといった感じで高台から町並みを見下ろしていました。あのビルのあたりが仙台駅かなぁとかなんとかしばらく景色を堪能した後、私達はちゃちい看板に「藤村の碑」と書かれているのに気がつきました。
「誰だよ、ふじむら?」と私が問うと、「さあ? 有名な人なのかなぁ?」と姉御(低身長)。
「やっぱり有名だから碑があるんじゃないの?」
「いや、アニキ(仙山線)、ふじむらなんて聞いたことないですよ」
「大体、その碑ってのはどこにあるの?」
 辺りを見渡してもそれらしいものはありません。
「あのちょろっちい白い棒がそうだったりしてな」
 などと、白塗りの卒塔婆の様な物に近づこうとしたとき、姉御(低身長)が、
「ねぇ、あれじゃないの?」
と、ある方向を示しました。
 我々がそちらに歩いて行くと、確かに石碑が建っています。そして、先頭を歩いていた私は恐ろしいことに気づいてしまったのです。
 石碑にはこう書かれていました。
島崎藤村の碑
「なにぃぃいいい!!!」
 我々はあまりのショックに一瞬固まった後、死ぬほど笑い転げました。
 まさか、島崎藤村しまざきとうそんだったとは。三人の内、誰一人として気づきませんでした。だって、そうでしょう。いきなり「藤村の碑」なんて書かれたら絶対「ふじむら」と読んでしまうはずです。いや、そうに違いない!!
 その後、何人かにこの話をしたところ、彼らは話しの途中で「ふじむら」ではなく島崎藤村だと気づきました。やはり我々がマヌケだったのでしょうか。彼らも直接看板を見ていたら「ふじむら」と読んだに違いない、と思いたいです。


脅威の記憶装置QD - クイックディスク -

QD
 フロッピーの高速性とカセットの経済性を備えたこれからの記憶装置QD(クイックディスク)をパソコンで初めて搭載しました。プログラムやデータを読み取るスピードがなんと約8秒、待つ時間も気になりません。しかも1枚450円という使いよさ、さらにパーソナルプログラムやデータの整理に適した両面128KBというてごろな容量です。

 1984年頃のメディアです。こんな時代もあったんですよ。
 確かにカセットはやたらと遅いですからねぇ。この時代においてはフロッピーは今のハードディスク、というより高速な大容量リムーバブルメディア、つまり、MO・PD・ZIPなどのようなものでした。しかし128KBとはねぇ。今は数GBが当たり前、そのうち何TBが普通になってしまうんでしょうかねぇ……。


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